震災に強い街とは
来週から沖縄で活動再開の予定であったが、交通手段と物資の確保ができず帰島することができない。
今はじっくり国難と向き合い、海外での最後のミッションの前に東北で活動してみたい。
津波は森羅万象を飲み込んでしまった。
我々街づくりや土木建築に携わる技術者の想定をはるかに超えていた。
何もできなかった。
完敗である。
明日から震災の爪痕を検証していくが、新しいまちづくりは頭の中で始まっている。
震災で助かった人、物をテレビで見る限り、ある共通点があることに気がつく。
高所にあることが第一の条件であるが、指定避難所でない裏山の神社に登って助かった人、古い木に登って難を逃れた人、木造屋根の上で流されながら助かった人、残ったものは林、神社、お墓、流れ着いた位牌など。これらはすべて住民生活の中で守ってきたものである。
先人は危険度判定を経験の積み重ねから判断し、街づくりを行ってきた。
防波堤、消波ブロック、ダムは景観を阻害するので私自身は好みではないが、
歴史伝統が、防災街づくりのキーワードであると思う。
山形県内陸部は今回の大震災の隣接地でありながら、地震の被害はほとんどなく、
災害の少ない地域である。
この安全神話のシンボルが日本最古の元木の石鳥居である。
築造された平安時代以降、震災に見舞われていないというのがその理由である。
重量感のあるその石鳥居は今回も被害はなく、竜山を望む生活道路沿いに佇んでいた。
しかし、地震というものは1000年なかったから安全ではなく、むしろ1000年のエネルギ―が貯まって危険なのである。
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