普天間と瑞慶覧の街づくり

Katzu

2012年02月12日 13:47

 宜野湾市を航空写真で見ると、市の中心部に普天間基地がある。
市街地にぽっかり空いたブラックホールのようだが、都市の発達を見るとそうではない。
米軍基地に集まってきた住宅地のようにも感じるが、必ずしもそうではない。


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 戦前はサトウキビ、甘藷の畑で湧水がたくさんあった。
街道沿いには天燃記念物の松並木があった。
基地内には危険な海岸線を避けて、高台に形成された集落遺構もある。
都市の発達は、那覇大都市圏の拡大が、浦添市から宜野湾市に到達した結果である。
スカイラインを住宅地が覆う市街地形成を見れば、己と歴史経緯が理解できる。
占領軍は、これから自国より発展する国の都市計画など、想定などするはずもない。
その結果、海岸段丘の開発適地に飛行場を作った。
城塞都市でも、市の中心に海兵揚陸隊の基地がある都市など、他に存在しない。



 都市機能が二分され、道路も遠回りとなり、国道結節点はボトルネックとなり
交通は渋滞し、緊急車両の通行も遅れる。
この都市構造がすべての都市問題を引き起こす。

 軽便鉄道跡に沿って、浦添市から普天間飛行場を半周歩くと、色々なことが解る。
嘉数公園だけでは480haのスケール感しか伝わらない。
輸送機ハ―キュリーズが、建物影から突然出てくる。
中型ヘリ・シ-ナイトが、騒音を上げ反転しながら着陸態勢にはいる。
これらは数値上の騒音レベルの話だけではない。
過剰な驚愕反応と精神的緊張、危い不安感をひき起こす。
1~2時間いるだけで感じることも多いが、住んでみないとわからないことが
もっとあるだろう。



 デイゴ通りの北側の緩やかな斜面には、キャンプ瑞慶覧の
低層戸建住宅地が広がっている。
アメリカの豊かな生活を表現したような、広々と明るい住宅地である。
ここは、平成8年のSACO最終報告の土地返還プロセスに入っており、
既に区画整理の準備段階にある。
今回の再編計画に合わせ、突然返還の話が出たわけではない。
デイゴ通りを挟んで、宜野湾市民はこのフェンスの向こうのアメリカを
羨んだことだろう。
普天間と瑞慶覧の間にある、狭い土地に身を寄せ合いながら、
集落は形成されていった。





 都市生活者にとって、地価の低い土地に住もうが、基地経済に縛られようが、
生活の不便を排除し、守り、作る権利を持っている。
市長選の街頭マイクからは、同じ政策趣旨が繰り返されていたが、
基地返還後の街づくりのシナリオを描けた方が、良い結果を残すだろう。
基地の中にあるお墓を見ると、常識的に誰もがそう思うはずである。


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