世界遺産の街づくり

Katzu

2012年09月24日 20:32



 ジョージタウンはマラッカとともに19世紀、イギリスの植民地として
マラッカ海峡を実効支配する拠点として発展した港町である。
2004年のスマトラ島沖地震では、島の反対側にもかかわらず、
海峡の回折波により3mの津波がかビーチを襲った。
対岸のスマトラ島はインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの
境界で起きる地震地帯であり、それ以降もMg8クラスの地震が多発している。
その後、2008年にジョージタウンが世界遺産に登録され、
ペナン島は津波の影響もなく発展しているが、市街地の想像以上の発展と
車の渋滞が、ビーチリゾートのイメージを覆っていた。




 マラッカも同様に西洋とオリエントの文化圏の交流の歴史が、
この町の魅力をつくってきた。
かつてアラブ、中華、マレーの文化が交差した街を歩いてみた。



この街は、世界遺産となった歴史的建築物群だけでなく、
近年開発されたリバーフロントや巨大モールが、
都市の魅力を引き出し、変貌しつつある。



都市施策としては一旦成功したと言えるが、
観光客が週末に集まる史跡エリアと、居住エリアの住み分けが
これからのマラッカのまちづくりの課題になるだろう。



ザビエルと運河と赤いオランダ建築物というシンボルを、
オリエンタルな複合文化として、街に調和させることがポイントである。




 ジョグジャカルタは、ボロブドゥールとプランバナンという
2大宗教の世界遺産があるが、度重なる地震の影響もあり、
遺跡自体の修復と再築が進んでいない。



何よりも国内の信徒が圧倒的に少なく、その母体となる保存組織が
海外にたより脆弱なことが残念である。
市内の交通インフラ整備も大きな課題となっている。


 ジャカルタは1,000万人の人口を抱えるメガシティであるが、
特に観光とは無縁に居住地区を拡大している。
しかし、どんな都市にも、歴史のある街は存在する。



ジャカルタ北部のコタ地区がそれにあたる。
世界遺産のマラッカと同じで、かつては港として海外貿易で栄え、
オランダ統治時代の重要拠点の港町であった。
コタ駅は積み出しの起点駅として栄えた。
現在はスラム化して危ないとガイドにはあったが、
ここがこの都市の魅力が詰まった所だと直感した。



この街を半日歩いてみた。
その面影のある建物は残っているが、その多くは朽ち果てようとしている。





博物館、見張り台、跳ね橋、古い港湾倉庫があり、
オランダ時代を彷彿とする建築物は、ジョージタウンや
マラッカと同じような歴史的背景を持つ。





しかし、その価値は、河川の汚染と、混雑する車、ゴミの放置、
石を投げる路上生活の子供達などが、すべてを色あせたものにしてしまう。
この地区は線的な観光開発よりも、面的なウォーターフロントの再開発を行い、
空港を結ぶ公共交通機関を整備することが、
この都市を輝かせる最後の手段になるかもしれない。



世界遺産のある街づくりを見ていくと、

1、入場制限、インフラ整備をすることなく、観光客だけが増えた例。

2、観光客の入場制限、環境保護税の徴収などにより、
  文化遺産の保護、環境対策を優先させた例。

3、観光客を集める以前に、街づくりの基本的なインフラ整備が優先された例。

4、観光と開発の付加価値を高めるため、市街地整備事業を積極的に行い、
  文化遺産を街づくりに活用した例。

この例は、1から4に進む事業化の過程でもあるが、
その一方で、どれを目標にするかの議論と理解、
法規制の整備と、実現方策の選定を行なうことが不可決である。
ジャカルタを例にすると、発展途上の都市を再編するためには、
古い歴史の良い部分を探し、見直すことから始めるべきであろう。

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