沖縄の地方には、不思議なラビエンス(迷路)の集落がある。
与勝半島の内間・平安名(へんな)周辺の集落は、
街路の形状が複雑で、一度も車で入ったことがなかった。
地図で確認すると、この街はこれまで見たことのない
街路パターンの集落であった。
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この集落の特徴は、
細胞が増殖されたように三叉路や変形交差点が多い。
車1台分の狭い道路が多く、広い道路は途切れ、道路幅員は一定していない。
街区の形は小さく、方角も一様でない。
所々に中心となる広場のようなものがある。
周囲は農地で、集落内の空閑地は、比較的担保されている。
このへんな集落は、およそ都市計画とは無縁の
本土にはありえない集落形態なのである。
その集落は、勝連半島の北海岸から、さとうきび畑をぬけた高台にある。
自転車で、街を一回りすると、その理由がわかってくる。
細街路が多い集落の中にあって、勝連小学校の裏通りだけは幅員が広く、
集落内の車の多くは、ここに駐車している。
まるでスーパーブロックの駐車システムのようだ。
しかも路肩の横列駐車というのは初めて見た。
恐らくこのパターンは、急勾配のサンフランシスコの坂道の住宅地くらいだろう。
石垣はブロック塀に変わり、宅地は両側を道路に挟まれた正背路線地も多い。
通過交通の発生しない狭小道路では、自宅前に駐車するパターンさえ見られた。
道路は三叉路が基本で、沖縄では一般的な『石敢當』の文字を煩雑に見かける。
ある交差点では、『石敢當』の石板が3つもあった。
突然道路が公園(記念碑)で二分されたり、幅員が急に狭くなる地点も多い。
集落の中心ブロックはやはり祭事の中心であり、
かつての御嶽は、公園や拝所、駐車場になっていた。
内間集落の南側の入口には神木があった。
集落内には埋蔵遺跡群があり、御嶽や神木も重なるように
集落の主要な6~7か所にあり、不整形な街区ができた原因となっていた。
都市環境アセスをすると、狭小道路率が高く、不整形宅地が多く、
不足環境要素、阻害環境要素が多いため、面的整備が必要になってしまう。
この集落の歴史は古く、海岸までは1km程度であるが、周囲は広い農地である。
海側の屋慶名や平敷屋の海人の集落に対し、平安名や内間集落は高台にあり、
勝連城にもつながりのある畑人の集落であった。
当時、勝連は琉球王朝に対抗する一大経済圏であったために、
近隣の集落は、文化的にも豊かな生産・生活拠点であったと考えられる。
戦後は、ホワイトビーチの米軍基地の需要もあり、県道8号沿いに集落が
拡大したために、もとの農村集落が変貌していったと推測される。
街づくり屋は何をやればよいか。
基本的には何もできない。
古琉球の集落は、風を逃がし、風水に基づきや集落の中心や
入口に御嶽を配し、魔除けの三叉路を増やした。
本土の島の集落には、海賊対策として、迷路を多用した例も多いが、
祭事を優先させた沖縄の集落とは歴史背景が異なる。
小豆島土庄町
景観だけでなく地震の危険を考えれば、ブロック塀は良くないが、
風対策には止むを得ないものがある。
この集落の魅力は、少し勾配のあるゆるい道路曲線に
琉球民家があったり、その先から海が遠望できる集落景観と、
近所衆が、5分以内で歩いて集まることのできる公園(御嶽)が
町の中心にあることである。
その公園にはこんな素敵なガジュマルのトンネルの入口があった。
ガジュマルという木は、時々不思議な生命力を表現してくれる。
個人的に、公園の自然木の景観大賞としよう。
生活に不便な街路システムにしても、
通過交通のない静かな環境を提供しているではないか。
沖縄でもこのような集落は少なくなってしまった。
特に重要文化財がなくても、
国の補助事業など使わなくても、
普段の変わらぬ環境の中に、
他の街にない魅力を感じていてほしいと思う。