竹富島の種子取祭(タナドゥイ)の奉納祭期間の3日間、島に滞在した。
老若男女、すべての島民の晴れの舞台の、年に1度の大祭であった。
すでに、種子取祭は国の重要無形民俗文化財に指定されているが、
重要伝統的建造物群保存地区の集落とあわせ、形式的な行事の維持と、
箱庭的な集落保存の域に入りつつあるのだろうか。
否、この島の生活と芸能は、ともに生き続けているのである。
その生命力は、テレビニュースや文化財ビデオ、一部の
奉納祭を見ただけではわからない。
祭りの執行は、竹富島を母体とした全国の親族・門中の大きな
集団組織で構成され、島の祭事・芸能を下支えしている。
さらに全国の竹富島の多くのファンが、この祭りをサポートしている。
この構造は、山岳宗教の全国に散らばる
講とも似ている。
星砂ブームに沸いた70年代の竹富島は、本土復帰とともに
多くの新婚や若いカップルが訪れた。
その後も離島ブームは続き、牛車による日帰り団体観光が
定着する一方、この島の魅力的な自然・文化・生活環境が、
毎年数本、ドラマや映画のロケに使われる。
しかし、この島の本当の魅力は、騒々しい観光客の去った夕暮れ以降にある。
いつか、静かで星のまたたく夜に、唄三線がどこからか聞こえてきた。
音間の静けさに漂う息の
ためは、心の豊かさ以外の何物でもなかった。
種子取祭のハイライトは70もの演題のある舞台芸能であり、
豊年を祝い、種を取る農民の祝いの気持ちを表現し、
多くの人の祝福を受ける。
その神の中で最も信頼を受けるのはミルクで、
神の登場にスターが出てきたような拍手喝さいが送られる。
この庶民の親しみは、上座部仏教の仏陀の存在に似ている。
芸能の後の世乞い(ユークイ)は、唄、踊り、酒宴が深夜まで行われ、
道筋の家を回り、集落の結いが試される祭事の場である。
各司の家を訪れるのは、各一族の存続と後継ぎを集落に知らせるもので、
集落の結束が、祭事によって確認される意味合いが強い。
各族長の多くの謝辞では、祭を続ける決意を表明する言葉で閉められた。
決して金取り祭りに走らない真摯な態度こそ、
本物の芸能文化として人の心を捉えることを、島民は心得ている。
最近この島に大規模な観光開発が起きた。
島の仲筋集落の東側は樹林地帯で、台風や高波から集落を守ってきた。
この建設には反対意見が多かったが、自然との調和、
集落との離隔独立をコンセプトに、高級宿泊施設が開業した。
そこはアイヤル浜に向かう蝶の道の隣にあり、
かつてオオゴマダラが乱舞していたのを思い出して行ってみた。
しかし蝶は既になく、そこから通じる道は、
宿泊者以外は立入り禁止になっていた。
奉納祭の終盤、暗くなり一般の観光客が去る頃に、
周囲と雰囲気の違う観光客の数カップルが現れた。
外人も含め、フラッシュを焚きながら、マナーの悪さが目に付いた。
島民と観光客の交流は必要だが、島の文化を理解しリスペクトする立場と、
エキゾチックさを求め楽しむ立場では、違いすぎる。
島の環境を維持するのは、優秀な設計家であればできるが、
失った自然環境やゲスト環境まで変えることはできない。
新しい環境を受入れても、500年以上続いた伝統を
絶やす必要はないが、新しいものが輝き続ける確率は低い。
むしろ500年間、幾多の危機を越えてきた伝統芸能・祭事は
強じんさを誇り続け、魅力あるものは人の心をひきつけ続ける。
そしてミルクは社殿に帰って行った。
永遠の離島観光とは、持続可能な開発ではなく、自然環境、
文化環境の持続維持にあることを再確認した祭りであった。