美観地区の裏通り

Katzu

2013年10月20日 17:58

 伝統的建造物群保存地区(以下伝建地区)は、1975年に指定制度ができて以来、
全国では宮城、山形、東京、神奈川、静岡を除く41県の104地区で指定されている。
この指定により、地区は本来の街並み保全のみならず、多くの地区は観光客の増加で
新たな観光収入を得るようになった。



本来は個人の建築物保存と街並み景観保全とは表裏一体の関係があるが、現実的に
景観保全を都市計画上で行うには、より詳細の建築規制や地区指定制度を行う必要があり、
京都市の市街地景観整備のように、建物の高さ規制、意匠規制や個人に対する
支援制度まで踏み込まなければならない。



 80年代当時、関西圏の街並み保全で最も成功した事例は、倉敷市の美観地区であった。
倉敷川畔の倉庫群、大原美術館、アイビースクエアなどの個々のパーツと全体のバランスが
すばらしく、美しい街並みと観光の魅力にあふれた、憧れよりも嫉妬さえ感じる街であった。

30年後の街の印象はどうであろうか。

外国人観光客が増え、お土産屋、茶屋、雑貨店、画廊、個人の美術館が増えた。




景観整備を目標としながら、電線電柱の地中化が進まない。




表通りの隆盛に比べ、再築できない通路に面する個人宅の廃墟や裏通りの空家が目立つ。




街並みはイメージから造られていく。

倉敷美観地区は、大原美術館という文化芸術の象徴と、アイビーという洒落たイメージが先行した。
あとでアイビーとはツタの意味だと知り、その建物も古くなりようやくその落ちつきを取り戻した。



 街づくりは、観光地として発展することだけを目指すものではない。
経済的に街が豊かになるのは、地域に生活する人のためでもある。



地区に隣接する南側を歩くと、昭和の香りのする都市整備から取り残された下町があった。
本来はこの居住空間を長く住みやすいものにすることが、あるべきまちづくりの姿であると思う。



美観地区と駅を結ぶ地区外の商店街の寂しい姿は、観光の街の影の部分を表している。




 山口県の萩は、吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文ら、幕末から明治にかけての偉人を多く
輩出した城下町で、現在の人口は5万人で、市町村合併後も減り続け、過疎化が進んでいる。
旧市内には、堀内、平安古、浜崎の各伝建地区があり、まち全体が観光地でもある。



地区の景観整備は、高度制限のみならず、木の伐採、家屋の色彩、交通標識にも配慮を
するほどの意匠の統一が成されているが、修復中の旧家も多い。



建物の維持修繕には補助金以上の多くの手間と、少子高齢化により家を継続する困難さが加わる。




 沖縄県竹富島の伝建地区では、観光客の増加に伴い、道路整備や宿泊施設の拡充の声も聞かれる。
サンゴ砂の白い道は美しいが、転べば怪我する上に、毎年、砂のオーバーレイを重ねるうちに
道路が高くなり、排水機能のない道路から宅地側に水がたまる例も見られる。



防災・防犯はじめ各種公共機能を維持しながら、この美しい島の景観を守るには、
伝統を重んじる島民の努力なしでは決して継続できない。

 このように、文化庁の指定を受けた伝統的建造物であっても、街の景観保全と生活の維持、
根本的なまちづくりとは別のもので、観光と過疎のはざまで街は動いていく。

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