地形を変える者の責務

Katzu

2014年01月18日 15:49

 本を読むより地図を見ることが好きな少年がいた。
彼は行ったことのない場所を空想しながら、地図を読むことを覚えた。
やがて彼の夢は、地図を変える仕事に就いてから、
幾つかの計画は、地図の上に現実のものとなった。
しかし、彼は自然の地形を変えたという行為を疑問に感じ、
大変な責務を負ったことに気付き、罪悪感を持ち悩んだ。

 都市近郊に残された開発ポテンシャルの高い土地は、
斜面地や、沈下する泥湿地、荒地や旧河川敷、干潟などである場合が多い。
このような土地は自然災害に対しては脆弱で、開発担当者は、地震や大雨、
台風が来るたびに気がかりになり、何度となく足を運ぶか、眠れなくなる。
業務が完了しても、次の仕事のためにも、造った物のトレサビリティが必要で、
その後の街の育ち具合を見守る。
業務の疑問や猜疑心を持たない人ならいざ知らず、多くの技術者は悩みを持ち続ける。
大震災後、その思いは更に強くなった。



〇 無駄な道路と宅地開発
 幾度となく無駄な設計・計画を行ってきた。
明らかに延伸計画のない4車線道路、交通量のない道路、形だけの公園、
形だけの遊歩道、売れるはずのない住宅地開発、都市ビジネスの名のもとに
人口の重心を郊外に移しただけの計画、思い浮かべると枚挙にいとわない。



業務で請け負った内容が、現況調査を進めるうちに、
その街に必要でない無駄な施設であることに気が付くことはよくある。
一旦、用地買収が始まれば、1設計者がそれを止めることは、
日本の今の社会システムでは不可能であろう。

スキームを変え、設計条件を変え、ルートを変え、事業計画を見直し、素材を吟味し、
多くの人が利用する施設に変えようと提案、努力しても、時間と予算もなく事業は進んでいく。
利害が入る前に、住民、ひいては世論の意見が反映されなければ事業は止まらない。

〇 自然保護と開発
 70年代に計画された西表島の縦断道路の整備は、イリオモテヤマネコの保護のため中止された。
当時の島民からは、内地の保護運動が島の振興を妨げたという意見が多かった。
しかし、現在、維持管理できない荒廃した林道や、世界遺産の候補地となりエコツーリズムが
島の観光産業に成長した姿を見ると、あの活動は間違いではなかった。
同じく、白保のサンゴ礁を埋め立てる新石垣空港の反対運動についても、
もし、あのまま海上空港の建設が進んでいたら、観光客の増加どころか、海洋環境の破壊、
バブルの崩壊や震災の教訓を経て、現在の海洋ビジネスの隆盛には至らなかったことだろう。

〇 アセスメントの判断
 住民にとって建設にかかる迷惑施設は、原発、核貯蔵施設、軍事基地などがある。
普天間飛行場の辺野古移設に係わるアセスメントは了承され、
日米政府、沖縄県の合意のもと事業が進められる。
しかし、知事の 環境に影響がないと判断され、格別の御高配を賜り….の発言から、
ジュゴンもウミガメも生息し、海も汚れず何も変わらないのね、と思ってはいけない。
現在のアセスメントは、様々な事業の方策をすれば、影響を最小限にとどめることが
できるだろうと予測したもので、欧米で認知されているPI(パブリックコメント)を重視した、
事業の是非を判断する戦力的環境アセスメントではない。



東海岸は、藻の生える海岸が多く、サンゴ砂の自然海浜が残るエリアは数少なく、
このビーチは米軍の保養施設地区であるため、皮肉にも自然環境が保たれている。
現実的に2100万㎥の搬入される土は、堆積土量と流出土量を推し量れば、
海域に堆積する土量は、県内開発による赤土流出分に相当する。
しかも生物攪乱成分を含む県外からの搬入土は1700万㎥におよび、
沖縄の生物多様性環境に多大な影響を与えることは必至である。

いずれ撤退する米軍基地に無駄な金をかけ、
取り戻せない海の環境を切り売りする意味があるのだろうか。
正論が通らず、変わらない日本の社会。
一番疑問を感じているのは、その施設を計画・設計・施工する者なのである。


〇 コミュニティの分断
 迷惑施設の建設は、反対派、賛成派に分かれ街のコミュニティの分断を引き起こす。
基地移転先の名護市では、歴史的には開発が先行した西部地域と、開発が遅れた東部地域
という構図があったが、今回の選挙によりその構図は鮮明となり、市の分断を助長している。
旧市街地がかつての光明を取り戻すことと、市街地再整備で発展することは同義ではない。




〇 環境教育、自然保護活動、世界自然遺産登録の後退
沖縄にとって観光ビジネスは、きれいな海をイメージに成長を続けている。
多くの人が沖縄の自然保護や環境活動に携わってきた。
学校教育でも、次の世代に伝える環境教育を行ってきた。
子供たちには、大人の行いをどう説明できるのだろう。



 名護に戻ると、宣伝カーがひっきりなしに走り、ポストにはビラがあふれていた。
右翼左翼、保守革新入り乱れた、騒乱の内容である。
街中は久しぶり活気にあふれ、見慣れない内地の背広組が大勢街角に集まっている。
一世代だけの利を追及するか、次世代以降に残すものをとるか、
全国注視のもと、名護市民の真意が明日示される。

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