沖縄や奄美の島々には、海や川・山で離隔された、しま(集落)があり独立したコミュニティを持っていた。
これらの各集落は海上交通でつながっている場合と、山間部の街道でつながっている場合がある。
現在でも名護市の郊外は、海岸沿いは漁村単位に国道でつながれているが、山間部には
森に囲まれた農業集落があり、戦後できた開拓村や小さなコミューンのような集落がある。
その中には単独で成り立つことを目標に、開発許可と、建築許可を繰り返し、
創意工夫しながら集落のコミュニティを維持する集落もある。
戦後日本の街づくりは、欧米型都市計画のゾーンニング規制と新市街地の近隣住区理論を
基本にしながら、農住の均等ある発展とは名ばかりの住み分けにより進められてきた。
日本が農業社会から工業社会に発展する過程で、市街地の拡大は必要であった反面、
日本の村社会は失われつつ、都市の矛盾も多く抱えるようになった。
市街地の外部はすべて荒野であるアメリカと、
農村社会を基盤にした日本の都市構造は明らかに違い、
新市街地開発を単一的な方向性でとらえた戦後の街づくり理論は、
ある意味間違いであったと指摘されても仕方ない。
これからの日本の街づくりはどう向かうのだろう。
欧州を例にとると、市街地の外縁をグリーンベルトで囲い内側を再開発したイギリス式、
ゾーニングを個別化したドイツ式、いずれも参考にできるが必ずしも日本には当てはまらない。
しかも、人口減少時代に入った日本社会において、市街地拡大を前提とした街づくりは
高度成長時代のスキームに基づいたもので、現在では対応できない状況にある。
人口とエネルギーと経済が均等に増加しない限り、健全に街は成長しない、させるべきでない。
これからの街づくりは、安易な市街地拡大を計るより、都市の再生と地球環境に留意し
自立したコミューンを有機的に結びつけるような計画が求められるだろう。
人口増加の続く沖縄では、米軍用地の返還に伴い市街地が拡大するために、
高度成長時代、あるいは海洋博バブル時代と同じ経過を辿ろうとしている。
現在の道路行政では、渋滞が続き、交通量が増える幹線道路に対しては、
道路計画は見直され、すぐに事業認可され、迂回バイパスが虫食い状態に建設されていく。
海外の発展途上の島国を見渡すと、道路により海岸を造り変え、島の構造を変えてきた島は、
自然の再生能力が弱まり、景観は破壊され、本来の島の持つ魅力は失われていく。
しまのコミューンを継続し活用することが、これからの島づくりのカギを握っている。