交通環境の変化は、交通技術の発達や、交通インフラの整備だけに
よるものではない。特に、公共交通を取り巻く環境は、
近年の経済情勢や利用者の変化により、大きく変わろうとしている。
経済のグローバル化、低コスト化競争により、
運輸関連の企業戦略も変わりつつあり、特に航空業界は、
LCCのもたらした低廉化の競争により、激しさを増している。
羽田、成田、福岡各空港に次いで発着便の多い那覇空港には、
現在5社のLCCが参入している。
那覇-成田便は3社がしのぎを削る。
一方、都市間交通は、民営化したJRの低廉化が進まない内に、
低価格の高速バスの参入が顕著になった。
その結果、海外は成田空港から、国内の遠距離は羽田から地方空港へ、
中距離はJR、近距離はバスと自家用車という交通利用のパターンが崩れ始めた。
大量に、早く、安全に、快適に、が交通の4大原則であるが、
最近は地球環境問題により『
エコ』の要素が加わった。
さらに、少子高齢化、デフレ経済により、『大量に』が、
個人のニーズに合わせ多様化し、むしろ『
安価に』が交通の重要な要素になった。
例えば、那覇―成田間のLCCは3,000~6,000円、東京山形間の高速バスは、
3,500~5,500円であり、成田-東京間を1,000円とすると、
那覇―山形間は、組合わせにより1万円で移動可能となった。
これは、大手航空会社の最安値の半額以下、
あるいは、東京までの新幹線の運賃と同額となる。
バスを待つ間に、体を温めるために飲んだ飲代と、
高速バス代が同じというおかしな時代になった。
課題となるのは、定時運行、安全性の確保、搭乗時間の短縮、
切符確保の保証などがあるが、ルールとリスクを理解し利用すれば、
公共交通としての条件をクリアしている。
数年後、数社に淘汰され価格も落ち着くだろうが、
この交通機関の選択肢は、確実に定着するだろう。
交通環境の変化は、ハードなシステムだけでなく、
移動中の客室環境にも及んだ。
交通のグローバル化、交通ビジネスの多様化は、利用客層の変化をもたらした。
外資系のLCCは、多くの海外旅行者を運んでくる。
国内旅行客は、低コスト化により、若者と幼児を含む家族連れが増えた。
LCCの機内は、日本人の赤ちゃんのとなりに、回教徒のひげおじさんが座るような、
生きたグローバルな社会が垣間見れるのである。
公共交通機関の限られた空間では、様々な人種の特徴が明らかになる。
時間に厳しい日本のビジネスマンは、まだLCCを利用しない。
現在は、時間に融通が効く低所得者層が利用する傾向にあり、
旅慣れた人には騒々しく感じる。
10年前にLCCが一般化した欧米の様に、ビジネスマンが手軽に利用できる環境が
整うまでには、まだ時間がかかりそうだ。
欧州では、LCCがライフスタイルを変えたとさえ言われる。
海外の別荘を安く買い、1国の宰相でさえ、
週末は家族とLCCで移動する、というスタイルが定着した。
LCCに偏見を持つ人・企業は、グローバル化の波に既に乗り遅れている。
最近の高速バスも高級化し、列車より温かく静かで、
かつての狭く、つらいイメージはなく、列車より快適と感じる人もいるだろう。
自由な交通の選択肢の多様さが、その国の交通の成熟度を示す。
日本人はいつから公共の場で、他人との関わりを拒むようになったのだろう。
他人を思いやる公共のしきたりは、欧米から理解され、
発展途上国の一部から絶賛されても、多くの国では理解されない。
昨年、旅行中のラオスのバスの中で、地元の青年が車酔いで苦しんでいた。
一応声はかけたが、死にそうでもないし、隣の女性が介護していたので
その様子を静観していた。その後、見兼ねた一部の欧米の観光客が、
バスを止めてと騒ぎ出し、運転手に懇願した。
バスは無情に走り続けたが、運転手はバスのドアを開け、
彼に風の当たるステップを指し、彼は移動した。
それから10時間後、バスは何もなかったかのように、ビエンチャンに着いた。
他人と関わりたくない日本人、オーバーアクション気味の外国の観光客、
冷たそうだが毅然とした態度の地元運転手。ボランティアと過度のお節介、
自立と援助、規則と機転、様々な違いを教えてくれた。
これが、日本だったらどうなったことだろう。
恐らく彼は誰にも干渉されず、一人苦しみ、結局、同じ結果になったかもしれない。
しかし、彼は多くの人と接し、多くのことを体験し、知ったことだろう。
これから日本人も、自分と違う環境で育った人間と、公共の場で接するうちに、
車内環境も少しづつ変わって行くことだろう。
狭く暗く、一人づつ隔離された夜行バスの中で、そんなことを考えていた。