地名が教える津波の足跡(2)
石碑への想いと土地の条件を示すもの
子孫に伝えたい想いは地名だけでなく、石碑にも多く刻まれている。
宮古市重茂の姉吉地区の「此処より下に家を建てるな」の石碑はすっかり有名になったが、
明治三陸津波、昭和三陸津波に関する石碑は三陸地方だけで200以上にものぼるという。
ところが宮城県に入るとその数は激減する。
大津波の記憶が貞観津波まで遡ってしまうことと、海岸沿いには漁村以外集落が少なかったためである。
仙台市若林区霞目飛行場脇にある
浪分神社はすでに報道されているように、
過去の津波の歴史を表しているが、これ以南には津波に関すると思われる地名は少ない。
今回被害の甚大だった
閖上の地名の由来は、室町時代まで遡る。
観音様が浜にうち上げられ、
水門(湊)神社が建立され、
ゆりあげという地名が付けられたという。
今回の津波でも残った大きな水門を上げる様子から名付けられたと思ってしまう。
その水門神社はかつて上流の大塚にあった。
さらにその周辺の字名を調べると、
汐押、汐入があり、岩沼市には
砂押、荷揚場という地名がある。
これらは、旧市街地の東端部(浸水区域外縁部)に多い。
江戸時代までは、海岸線の港と市街地東部を結ぶ運河を舟で往来しており、
この間に集落は少なく葦で覆われていたが、明治、昭和の時代に
新しく市街地が拡大したものと推測される。
この地理構成は福島県北部まで続いている。
この地域で関連する地名は、他に仙台市若林区
荒浜、水神、太白区
吉原、土浮、
亘理町
荷揚場東、荒浜、長瀞、碇、新地町
菅谷、谷地、南相馬市
浮田、塩崎、萱浜、
浦尻、蛯沢、大甕、雫、浪江町
棚塩、万海、樋渡などである。
最近話題の少ない福島第二原発ではあるが、周辺には気になる地名が沢山ある。
原発のある場所は楢葉町
波倉、海岸から離れた所に
奥海、塩貝があり、
周囲は富岡町
仏浜、毛萱、前川原、楢葉町
原、大谷、谷地、上小塙、中川原、など
地盤条件の悪い地名ばかりである。
今は火事場の第一原発や、地震リスクの高い浜岡原発の影に隠れているが、
同じ運命を背負っていることを忘れてはならない。
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