一昨年、八重山で明和大津波に襲われた集落をまわった時のこと。
その村の佇まいを眺めていると、震災後の三陸にも似て、震災当時の
津波の阿鼻叫喚の様相がフラッシュバックするような感覚に陥った。
公民館の防災講座では、住民の興味はどの高さに住めば安全かという話題が中心であった。
観光客の多い港周辺埋立地の安全性を杞憂する声は聞かれなかった。
明和地震研究で有名な琉大の中村先生の、地震と津波に関する講演が県立博物館で開かれた。
会場は、その関係の教育者と学生よりも、むしろ一般の人が多く満席であった。
質問も多数寄せられ、その多くは『どの高さ以上が安全なのか』という内容であった。
震災後に来た沖縄は、地震も少なく安全だという意識があったが、
調べてみると決して少ないわけではないことがわかった。
特に八重山地方は群発地震が多く、津波が島の集落を変えていった歴史があった。
沖縄近海の巨大地震は3000年に5回起きたと言われ、本島も同様に至る所に津波の痕跡があり、
近年のチリ沖地震の津波被害を含めれば、東南海地方同様の災害リスクを背負っているともいえる。
質問の中に『大宜味村の新小学校の建設地が海岸沿いの埋め立て地にあり安全か』
というものがあった。長寿村の大宜味村は過疎化が進み、4校ある小学校を1か所にまとめ、
埋立地の結の浜に新設する計画が進んでいる。
海と山で平地の少ない村に、通学アクセスの良い開発適地を探すのは容易ではない。
一方で津波を心配する保護者の意見も理解できる。
大宜味村には地名に饒波(ぬうは)、津波(つは)など波に関するものや、
喜如嘉の地層から津波痕が見つかったと報告され不安は募る。
昭和35年に隣の真喜屋小学校が、チリ沖地震の津波で流出した歴史もある。
羽地内海は北の東シナ海に面しながら、津波の回析波により被害を受けた。
この時、同じ津波を直接受けた南三陸の女川の津波高は5mだった。
津波の伝播の複雑さは、東日本大震災の津波高と被害を見れば一目瞭然で、
同じ内湾の松島と隣の奥松島では雲泥の違いがあった。
地震波ポテンシャルから津波高を解析することは可能でも、地震発生地点や
発生確率も含め、遡上波やポイントごとの高さを限定することは容易ではない。
結いの浜は強固な重力式護岸で守られ、整地高も5m以上ある。
背後の山も近く、明和地震クラスの津波に対しては防災避難計画を立て
その知識を伝承すれば対処できるレベルかもしれない。
昨年、県の防災会議で地域防災計画がまとめられた。
それによると、バブル以前に開発された糸満、那覇新港、宜野湾、北谷、名護、辺戸名などが
主に津波想定地域にあげられたが、むしろ、近年埋め立てられた地盤高2~3m程度の
中城湾港、与那原の方が憂慮されるべきと思われるが、津波浸水想定地点から省かれている。
意図するものはわかるが、近年の想定外の災害とはこういう所からほころび出でる。
(沖縄県地域防災計画)
地震の見識が防災計画に影響するため、専門家に頼らざるをえない面があり、
研究者も大変な責任を担うようになったと思う反面、住民も自ら住む土地の知識を
自分の力で高めなければならない時代になったと感じる。
津波に会った真喜屋小学校跡地は、現在はスポーツ公園として整備され、三陸各地にある
伝承石碑と同じように、チリ地震の津波被災地跡を示す石碑が設置されている。