40年後のボーンエルフ...オランダ デルフト
1970年代、都市計画を学び始めた頃、ボーンエルフという
歩車共存の道路形態が注目された。
それは従来の歩車道分離の計画とは全く異なる交通理論であった。
国内でも住宅団地で取り入れようと試みる所も出始めていた。
しかし、公安協議がネックとなり、形態だけがとり残された。
いつしか、それは
コミュニティロードと名を変え、
市街地の道路空間となった。
基本的に、日本のニュータウンは、歩車分離の思想に基づく安全な、
土地利用の分離された団地であり続けた。
ある種、都市計画の寵児となったボーンエルフ発祥の地である
オランダのデルフトであったが、その後40年経過してどんな街になったであろうか。
気がかりだったが、2年前にはじめて訪れることができた。
デルフト市はオランダの南部にあるハーグに近い人口10万人の地方都市である。
有田焼に影響を受けた
デルフトブル-と呼ばれるデルフト焼が有名である。
旧市街地は
運河が至る所にあり、水上交通にも利用されていたが、
今でも街に潤いを与えている。
道の先には
広場があり、
寺院が
ランドマークとなっている。
商店街は歴史のある
石畳みの路地にあり、色彩豊かな店には観光客があふれる。
主要道路は自転車帯があり、
トラムが車と共に現れる。
ヨーロッパの旧市街地はどこも大体こんな感じで、
デルフトの街も自然体で同様な魅力にあふれる。
駅の反対側のボーンエルフにはいると一変する。
6m程度の区画道路が中心であり、車と自転車が猥雑に移動する。
それはある種の感動で、邪魔とか危ない感じでない。
個人主義のヨーロッパゆえに最低限、自分の安全を意識して歩けばいい。
暴走族もいるだろうが、
ハンプや遮蔽物のデバイスで危険性を取り除く。
このシステムはすたれることなくしっかりとこの街になじんでいた。
日本のニュータウンが、オールドタウンになったのとは大違いだ。
バザーや軒先の老人の佇まいをみていると、与えられた店やベンチは
愛着がわかず、自分達で育てたものは長続きするということである。
運河沿いの通路を歩くと、生活の場を歩行者に与えているような
温もりまで感じてしまう。
ボーンエルフ(生活の庭)とはそんな思想の街のことであった。
デルフトに限らず、世界一の自転車の国は多くの示唆を与えてくれる。
幹線道路は歩車自転車分離である。
自転車が高い交通優先権を持つ。
歩道を渡る時横の自転車に注意しなければならない。
自転車はバイクと同じ
専用レーンを30kmくらいのスピードで走り去る。
しかも右折車よりも直進自転車が優先される。
自転車は幹線道路でも、必ず右を走らなければならない。
自転車レーンに停車した車は、停車しただけですぐパトカーが来る。
自転車利用率は日本の2倍であるが、遠距離通勤に使う場合が多く、
平均距離はさらに長いはずである。
中途半端に歩車道分離を行い、歩道の自転車通行を許してしまった日本は、
このようなシステムを受け入れるにはまだ時間がかかる。