忘れえぬ街 その7

Katzu

2014年06月18日 16:39

変わるファヴェーラ・変わらぬカリオカ:リオデジャネイロ



 1985年、ブラジルのリオに1か月ほど滞在した。
当時クビチェック大統領が推し進めたリオからブラジリアへの遷都は、すでに25年経っていたが
新都市の魅力への疑問と施設の維持管理にも支障をきたし、国内外からも批判が相次いでいた。
仕事でつきあいのあった市大の先生からは、都市計画の失敗を見るのも良い機会だと皮肉られ旅立った。
リオを離れることに反対する国家公務員は、ストをしてリオにとどまった結果、一介の地方公務員となった。
当時、他人の都市を計画することの限界を感じ悩んでいた自分は、リオの街の魅力に取りつかれるうちに、
新しく造ったブラジリアの都市計画への興味などはすっかり忘れてしまっていた。



 白いペレと呼ばれたジーコは、その年セリエAを退団し、リオのフラメンゴ復帰が決まり、
マラカナン競技場で『王の帰還』としてプレイすることが決まっていた。
その晩は20万人収容の世界一のスタジアムで彼のプレイを見る予定であったが、
ポン・ジ・アスカルの帰りのバスで、窃盗団にカメラを盗まれてしまった。
証明書をもらいに警察に行ったが、日本語はおろか英語を理解する警官はいなかった。
市警察は紳士的で、親切にもパトカーで市内各署をまわり探してくれた。



やっと見つけたコパカバーナ海岸に近い派出所のLA生まれの若い警官は、
『昇進したい奴は全員ブラジリアに移り、今ここに残っているのは
海とサッカーとサンバが好きなカリオカ(リオっ子)だけだよ。』 ともらした。
人の造った街などより、リオはよほど魅力的な街であることは明らかで、
その後の自分の街づくりに対する考えに大きな転機をもたらした。



ブラジリアを中心とするアマゾン開発は、国家プロジェクトでありブラジルの経済的発展を支え
日本もその経済的援助を担ってきたが、現在は中国のCO2排出量増大とともにブラジルの
CO2吸収量の減少が地球環境の急激な変化をもたらした主要因として批判の対象となっている。

 マニラのスモ-キーマウンテン、香港の九龍砦とならぶ世界3大スラムと言われるファヴェーラ。
他の2地区に比べても、麻薬闘争もあり危険で踏み込むことさえできなかったが、
山手のファヴェーラの住民は、世界一と言われるリオの港の夜景を見ることを自慢する。



確かに、他の世界3大美港(諸説あるが)の香港、シドニーと比べても、
自然地形と相まってリオの空間的美しさは特に際立っている。




160年の世界最古の歴史を持つ市街電車は、終点付近がそのファヴェーラの入り口にあたり、
カメラを構えるような雰囲気ではなく、すぐに逃げるように帰ってきた。数年前に脱線事故があり、
それと前後して水道橋から観光客が落ちて亡くなったが、亡骸からはカメラや金品が盗まれたという。



 Googleで街の様子を見た限りでは、30年前に比べ街は整備され治安も良くなっているようだ。
以前、観光客だけでなく一般市民もデイバッグは前に抱え、常に周囲を気にして歩いていた。
しかし、日本人のワールドカップ観戦者の一部はスリに会うだろう。
平和ボケというのも理由の一つだが、生活は豊かになってもスリというのは職業として残るからである。



 暴力と貧困のファヴェーラは変わりつつある。
オランダ人アーティストHaas&Hahnが立ち上げた『ファヴェーラ・ペインティングプロジェクト』は、
アートが街を変える趣旨で世界的にも高い評価を受けている。
     CNN 『世界で最もカラフルな街10』

一方で景観価値の高いファヴェーラは、リオ市当局による再開発が進行している。
開発はケーブルカー建設の観光目的で、すでに強制収用が行われ反対運動は過熱しているが、
この地から離れたくないというカリオカ気質は今も昔も変わらない。
ワールドカップに反対するデモも、市民生活を脅かす権力者に対する姿勢は同じである。




結局、マラカナンのジーコは見ることができず、その後の日本での活躍にも興味をなくしてしまった。
夕闇せまる頃、ワールドカップで盛り上がるリオの街並みをテレビでながめていると
セルベージャを飲み、マッチ箱でリズムを取ったセントロ付近のバールの雰囲気が懐かしく、
素晴らしきサンバの仲間たちに耳を傾けたくなる。


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