夕方、飛行機が仙台空港に向け下降体制に入った、
とアナウンスがあると、機内は静まり返る。
きっと、同じ思いがよぎっているだろう。
夕日に映える海岸線の元の集落に、灯りが1つ2つと離れて見える。
災害指定区域に戻って暮らしている家族であろうか。
3か月ぶりの仙台空港であるが、周囲が暗くかつての賑わいはない。
地元からは、カジノ誘致を含む、国際観光拠点の計画要望が出ている。
防音壁がすべて倒壊し、トンネルが埋まった為、秋にようやく開通した
空港駅から見ると、クリスマスと雪のイルミだけが気持ちをホットさせてくれる。
息が白い。
気温は3℃程度だろうか。
那覇の気温18℃からすると、冬の仙台はかなり寒い。
頭では理解しているが、先週長袖に腕を通したばかりの体が対応できない。
定禅寺通りのケヤキは、戦災復興記念に1958年に植えられた。
今年の光のページェントは26回目で、大震災後の特別な思いが詰まっている。
イルミネーションの保管倉庫が津波にあったため、
全国から集められた電球によって開催できたという。
ケヤキ通りの人の多さにも驚くが、それ以上に驚くのは
30mの高さのヒマラヤスギのシンボルツリーである。
ヒマラヤスギは成長しやすいが根が浅く、風の強い都会の公園では育ちにくい。
手前の街路樹と比較すると、その大きさには目を見張るものがある。
すっかり冷え切って、熱燗が欲しくなった。
裏通りの郷土料理屋は、80歳のばあさんが一人で切盛りする、
つげ義春の漫画にでてくるような店だった。
常連客の話す震災の話には、まだ終息していない現実があった。
見せてくれた震災当日の号外は、唯一の情報源であったが、
地震の正確な情報ばかりか、津波の詳細もわからない混乱した状況が
伺える貴重なものだった。
再び、帰りに公園のイルミを見て通った。
若い家族づれの歓声に、ようやく温かい気持ちになることができた。
バスは笹谷峠を越えると、底冷えがして雪が舞い始めた。
バス停に降り、凍った歩道をすり足で歩くと、
1年ぶりに歯がガチガチ鳴った。