冬の被災地 その2

Katzu

2011年12月24日 05:12

 福島はずっと気掛かりだった。
20km圏内の警戒区域の浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町はもとより、
周囲も通行止め道路が多く、近づけなかった。
震災後の調査は、数字データと地図、航空写真だけだった。
震災2か月後、岩手、宮城県に出した復興計画案は、福島県には提出できなかった。

 福島県内の浜通り地方は地震の影響も大きく、
路面状況は段差や亀裂が依然多い。
海岸沿いは雪も少なく暮らしやすいが、内陸部に避難した人々も多く、
慣れない環境と雪道の運転には注意が必要だ。

 陸の交通状況は基本的に回復したが、海の交通はどうであろうか。
震災後、道路冠水で入れなかった相馬港に行く。
相馬港は宮城・山形の物流も手掛ける重要港湾に指定されている。
南の第一埠頭は破壊され、他の埠頭は形状を留めているものの、
稼働は15バース中3バースのみである。



 港湾整備は、これから3年間の復旧計画で行うが、
8割壊れた沖防波堤は5年計画で進める。
陸の交通に比べ、海の交通は拠点整備だけで済むが、
防災計画は陸以上に難しく、復旧には時間がかかる。



 北側の松川浦は、地形が変わるほどの津波を受けた地域で、
潮干狩りの干潟はなくなっていた。
ストレスを受け生き残ったハマグリが報告された場所である。
津波は橋の床版近くまで来たが、漁師達は言い伝え通り、
船を沖に漕ぎ出し130隻が難を逃れるという伝説を作った。
福島で残った船の3分の2が松川浦漁港の船だった。



 JT産直店は、現在も高潮時に冠水する道路わきにある。
野菜を見ると、この辺は豊かな農業地であることがすぐわかる。
間もなくイチゴ狩りのシーズンに入る。
ビニールハウスで育ったイチゴは、放射能も検出されなかったが、
風評被害が心配である。  和田観光苺組合はこちら

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