石積みの系譜
春うららの、申し訳ないくらい晴れの朝に、
勝連城を散歩すると、欧州の古城のような景観から、
石の隙間のスミレにまで興味が沸いてしまう。
リュウキュウコスミレは、本土のスミレと違い、葉付きが良くたくましい。
むしろ、蘇った氷河時代のナデシコを思い出す。
沖縄の城はそれぞれ特徴があるが、このロケーションは特に好きである。
その中で特に目を弾くのは、4段の城郭である。
その高低差を琉球石灰岩の石積みで解消している。
この石積みの構造を見ているうちに、自分ならどう設計し、
どう施工管理したらいいのか、悩んでしまう。
10mの高さで、2分転びのほぼ垂直に近い勾配で、
曲線があり石も均一でない。
現在の法規上ではこのような構造物は造れない。
石積みの改築は、地震による崩落などにより常に行われ、
年代も違い一概には判断できないが、
14世紀の技術としては目を見張るものがある。
二の郭への階段は直線的な平石の組み合わせで、
低い石積み部は布積みとなっている。
高い石積みは崖面の岩盤を利用し、その隙間の裏込めは、
コンクリートのない時代なので、砕石の空積みである。
自然の地形を活かした曲線は、ここから生み出されたものでもある。
石の積み方はよく見ると、乱積みのせり持ち作用により積んでいる箇所と、
無理に石同士を、鍵型にかみ合わせた箇所がある。
薄い乱張ではよくあるが、自然石を使った例は少ない。
これはどこかで見た覚えがある。
日本独特の野面積み、間知積み、谷積み構造、とは明らかに違う。
石積みの種類参考
それは、剃刀1枚入らないと称賛されるインカの石積みである。
30年前、クスコ郊外で見たサクサイワマンの城壁では、
石質や大きさの違いはあるが、石同士を平面であわせず
鍵型で組み合わせている面が必ずあった。
作られた年代も同じ13~14世紀で、ピラミッドのように
巨石を重力式に利用しなくても、構造的な石積み技術を
会得するに至った経緯は、単なる偶然ではないのであろう。
しかし、戦前から道路建設のために路床に利用され、
日本軍の陣地構築にも石の多くが運びだされたという。
その詳細は永遠の謎に封印されてしまった。
一方、今帰仁城の城壁も特徴的であるが、
乱積み・布積みの石積みで勝連城とは全く違う。
むしろ、景観的にも韓国の山城に似た雰囲気がある。
北山と韓国を結ぶルートもまた興味深い。
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