石積みの系譜

Katzu

2012年02月22日 12:46


 春うららの、申し訳ないくらい晴れの朝に、
勝連城を散歩すると、欧州の古城のような景観から、
石の隙間のスミレにまで興味が沸いてしまう。
リュウキュウコスミレは、本土のスミレと違い、葉付きが良くたくましい。
むしろ、蘇った氷河時代のナデシコを思い出す。



 沖縄の城はそれぞれ特徴があるが、このロケーションは特に好きである。
その中で特に目を弾くのは、4段の城郭である。
その高低差を琉球石灰岩の石積みで解消している。

この石積みの構造を見ているうちに、自分ならどう設計し、
どう施工管理したらいいのか、悩んでしまう。
10mの高さで、2分転びのほぼ垂直に近い勾配で、
曲線があり石も均一でない。
現在の法規上ではこのような構造物は造れない。



石積みの改築は、地震による崩落などにより常に行われ、
年代も違い一概には判断できないが、
14世紀の技術としては目を見張るものがある。



二の郭への階段は直線的な平石の組み合わせで、
低い石積み部は布積みとなっている。
高い石積みは崖面の岩盤を利用し、その隙間の裏込めは、
コンクリートのない時代なので、砕石の空積みである。
自然の地形を活かした曲線は、ここから生み出されたものでもある。

 石の積み方はよく見ると、乱積みのせり持ち作用により積んでいる箇所と、
無理に石同士を、鍵型にかみ合わせた箇所がある。
薄い乱張ではよくあるが、自然石を使った例は少ない。



これはどこかで見た覚えがある。
日本独特の野面積み、間知積み、谷積み構造、とは明らかに違う。

                                  石積みの種類参考



それは、剃刀1枚入らないと称賛されるインカの石積みである。
30年前、クスコ郊外で見たサクサイワマンの城壁では、
石質や大きさの違いはあるが、石同士を平面であわせず
鍵型で組み合わせている面が必ずあった。
作られた年代も同じ13~14世紀で、ピラミッドのように
巨石を重力式に利用しなくても、構造的な石積み技術を
会得するに至った経緯は、単なる偶然ではないのであろう。

しかし、戦前から道路建設のために路床に利用され、
日本軍の陣地構築にも石の多くが運びだされたという。
その詳細は永遠の謎に封印されてしまった。



 一方、今帰仁城の城壁も特徴的であるが、
乱積み・布積みの石積みで勝連城とは全く違う。
むしろ、景観的にも韓国の山城に似た雰囲気がある。
北山と韓国を結ぶルートもまた興味深い。

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