長い間、都市を造り続け都市が失われていくのを見てしまうと、
社会経済学や宗教的な解釈を待たなくても、バビロンはいつか
崩壊するという都市論の結論に到達する。
インドシナの遺跡を見ていくと、仏教やヒンドゥー教に係わらない
インドから日本にまでつながる共通の美学のようなものを感じる。
それは亜熱帯という共通の環境に導かれたものだろうか。
マチュピチュがインカ文明の最後の遺跡でその前にはプレインカ文明が
永く眠っていたことを思うと、インドシナのアンコールワットやバガン遺跡
以前にプレインドシナ文明というものがあったのではないか。
それは中国とインドの古代文明に影響を受けた地理的にインドシナの
北部にあったのではないかという仮説を以前から立てていた。
一昨年イラワジ川沿いのピュー遺跡群が世界遺産に登録された。
中でも上流のハリン遺跡は幻の古代都市と言われ調査が進んでいる。
モンユワから北にバスで3時間、インパール作戦の補給基地、
帰還兵の到達目標であったシュエボーに泊まった。
シュエボーは窯業の街で周辺には静かな農村が散在している。
遺跡の場所は大体察しはついたが、とにかく情報量が少なく
観光ツアーなどなく、タクシー運転手は行くことに熱心ではなかった。
それもそのはず遺跡の核心部はまだ公開されておらず、街から東に
バイクで1時間、さらにオフロードの1本道を進んだところにあった。
入口の世界遺産のモニュメントだけが立派で、広大な敷地には
それ以外は目立った遺跡らしい建築物はほとんどなかった。
この古代都市は中国の条里制と同じ矩形の城壁に守られていた。
イラワジ川にも近いが現在は耕作地ではなく、赤く埃っぽい
乾燥した荒野が広がっているに過ぎない。
恐らく他の古代都市と同じく河川の氾濫地を利用した農業と
河川貿易により栄え、やがて過度の伐採と干ばつ、
河積の移動により都市形態は崩壊したのだろう。
城壁はレンガ造りで南北3kmほどの縦長のアンコールトムの南北、
アンコールワットの東西の幅となぜか一致する。
遺物は紀元前後のものがありクメール文化よりはるかに古い。
城門の発掘調査が行われており、門の真東から太陽が昇っていた。
太陽に手を合わせ日本の古代都市と同じですね。
と作業している人に話すと調査スタッフが集まってきた。
ミャンマー政府文化庁の職員達だった。
日本からの先生はあなたが二人目です。先生ではないが、
古代都市に興味があって来たことを告げると現場を案内してくれた。
現在は東門の発掘から行われており、全体はまだ明らかになっていない。
この赤い大地に都市が存在していたこと自体不思議な光景だ。
密林からアンコールワットが、火山灰の中からボロブドゥール遺跡が
見つかったように、ここは河川の氾濫で埋まってしまったのだろう。
この様子では全体の発掘まで百年かかりますねと冗談で言ったが、
まだまだ、資金援助と人員派遣が必要であろう。
周辺には以前から遺物が発見されており、既に小さな博物館と
発掘現場を保存した建物があった。言語、農耕技術、都市形態、
治金術、交易システム、おおよそ文明という形態は整っていたようだ。
イラワジ川河口域は貝が貨幣だった時代、
この上流域は鋳造技術が発達し既に銀貨が流通していた。
興味深いのは日本との共通点で、都市形態だけでなく、
菊の紋章のデザインや出土品の中に銅鐸の形をした鈴があった。
近くの集落入口に以前発見された仏経典の石版が祭られていた。
お坊さんが熱心に解読していたので、内容を聞くと首を振って笑った。
世界遺産とは言え、ここまで来る外国人観光客はなく
会った観光客はバイクでやってきた地元カップル一組だけだった。
幻のプレインドシナ文明の古代都市ハリンは、
ロマンを残したまま、まだ幻のままだった。