空に向かう石積み

Katzu

2012年03月06日 17:57

 人は天に向かい石を積む。
平地がなくなると、斜面に住宅地を建設していく。
都市の防御を考えると、その究極の選択は山の上になる。
その結果生まれたのは、スペインの城塞都市クエンカや、
インカの空中都市マチュピチュである。



 マチュピチュには、世界遺産登録間もない1985年に訪れた。
現在では世界的な観光地になったが、当時はクスコから、
わざわざ列車で1日掛けて行く日本人は、3人だけだった。

当時、関西地方の開発は関空、神戸・六甲アイランドの海上都市の建設が終わり、
開発適地は大造成のできない丘陵地帯に移っていた。
技術的な課題として、急傾斜地をどこまで宅地化できるか、
住宅はどれだけの傾斜に建てられるか、事務所内でも議論された。
一旦、事務所を離れ南米に向かったが、
旅行中に空中都市という言葉に興味を持った。
この遺跡は自然の尖峰群と宗教施設、棚田の石積みが個性的な景観を創っていた。
石は標高の高い所から切り出されたと言われ、尾根筋まで石積みが伸びている。



この空中都市は、敵を欺き、防御に長けた城塞都市と比較しても、
住むにはあまりに不適である。
泉の量、耕作地の広さからしてもせいぜい人口500人程度の集落であったろう。
ここは住宅地ではなく、インカの崇拝する太陽に、近づき祈る為の宗教都市であった。
日本の山岳宗教集落を思い浮かべれば納得できる。

 天に登る石積みは、主に畑であるが、自然の岩盤を削ったものではなく、
石積みの基礎を砂、粘土で固め、その上に石を削りつつ調整しながら、
精緻な技術で積み上げられている。
その結果、隙間のない石積みは土砂の流出がなく、棚田のような維持管理
をしなくても、背後地盤が安定し、500年経った現在も平地の状態を保っている。
石の水路は精巧に作られ、現在も元の形状を留めている。



一方、インカの人々はこの都市を焼き払い、ジャングルに逃れた
と言われてきたが、最近別の事実が浮上した。
この遺跡を発見したビンガムは、インディジョーンズのモデルになった歴史学者
であるが、彼をはじめ研究者は、その後の調査過程で、遺跡に覆われた木々を
大量に焼き払ったために、花崗岩の遺跡の劣化が進んだと報じられた。

最も行ってみたい世界遺産として、30年前の50倍近い、年間5万人の日本人が
訪れるようになったマチュピチュであるが、ペルー政府は日本に
その遺跡保全のための補助金と修復を要請した。
遺跡の景観は変わらないはずなのに、人の興味はこれほど変わってしまうのだろうか。



 石積みが天に向かうと、オベリスク(塔状の記念碑)のフォルムになる。
世界中には、古代のオベリスクが多く存在する。
その究極の例は、現代では東京スカイタワーになるが、
古代では旧約聖書に登場するバベルの塔となる。

宗教的な理由で、石積みは天に向かう。

空中都市といえば、2010年に清水建設が提案した赤道上の環境アイランド構想を
思い浮かべるが、震災後どう形を変え、どの方向に向かっているのだろう。


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