街を車で走っていると、交差点に『屋慶名大綱引き』の横断幕を見つけた。
調べてみると、ここの綱引きは由緒ある特徴のあるものらしい。
豊年、子孫繁栄のための行事で、東西に分かれた雌雄の綱を合体したあと、
子供を乗せて引きあう。
先週は青年団が近くで綱を編んでいた。
先週よりエイサーの練習が深夜まで行われていたが、
道ジュネも行われるらしく、大変興味があり楽しみにしていた。
しかし、台風の接近のため、綱は道路に準備されたまま順延されていた。
この雌雄を分けた綱を合体し、引き合う綱引きの形態は、
秋田の刈和野大綱引や韓国にも見られる。
綱引きは稲作と深い関わりがある。
『屋慶名の大綱引きの起源』によると、
与論、沖永良部のシヌグ(豊年祭)が辺戸から東と西に分かれ南下し、
東は安田を通り浜比嘉島にたどり着いた。
この地の稲作文化の伝来を伝えるものが、この屋慶名大綱引きだという。
16世紀に始まったとも、明治に始まったとも、12年に1度行われるとも、
最近は津波で一度途絶えたが、7年前に復活したとも言われるが定かでない。
沖縄の綱引きは那覇、糸満、与那原が三大大綱引きと呼ばれているが、
県内各地で開催される。
北谷三ケ村大綱引きは12年に1度行われているという。
綱引きは世界各地にあり、子孫繁栄、豊穣の儀式として行われてきた。
その歴史は古く、起源は東南アジアの農耕地域にあると言われる。
韓国でも沖縄と同じ豊穣祈願のための綱引きがあり、
韓国起源の無形文化遺産としてユネスコに申請しようとした。
これに対し、中国では綱引きの起源は春秋時代の船を生け獲る為の
中国古来の軍事技術だとしてこれを非難した。
日本にも国盗り綱引きの歴史を持つものもある。
古代オリエントではスポーツ競技として発展し、
初期の近代オリンピック競技としても採用された。
現在では国際大会もあり、ワールドゲームズの競技として採用されている。
綱引きは、農村の祭事、軍事、スポーツと形を変えてきたが、
本来は、稲を刈り取るという感謝の行為から始まったものであろう。
稲作が衰えた沖縄では、街の結いという形に変わり、伝統が受け継がれている。