琉球王朝時代の琉球人の交易ルートを探っていくと、
マラッカに行きつくと言われる。
この辺は『沖縄からアジアが見える』 比嘉政夫著に詳しいが、
多くの交易品からこのルートは確認されている。
マラッカ海峡
現在のマラッカには、琉球らしさを表現するものは見つけられなかったが、
インド、マレー、西欧、中国各を結ぶ一部には琉球が含まれていた。
15世紀のマラッカ王国は、琉球と同じ明の朝貢国であったため、
お互いに交易があったとされている。
ジャワとの交易も同様に行われた。
現在のインドネシアには沖縄との共通項がたくさんある。
食文化では同じチャンプルー料理、
音楽では同じ音階に代表されるが、
言語学、民族学的にも明らかにされつつある。
インドネシア人の会話を聞いていると、沖縄らしい発音を耳にする。
彼らが口癖に使う『Tidak apa apa』(だいじょうぶ)は、
八重山では『太陽のばあさん』と聞こえる。
琉球王朝は、海洋交易国家でもあり、海人の遠洋漁業の逸話もあり、
沖縄から海人が辿り着いた先を探し求めてきたが、
赤道側から視点を変えると見えてきたものがある。
琉球王朝時代と東南アジアとの交易は歴史的にも証明されており、
海を渡った海人として認識できるが、
もっと遡った時代に交流があったと推測できる。
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人類学の研究は、アフリカを起源としつつ、もう一方の末端を、
台湾の高砂族を起点として広がったという説が、世界の潮流となっている。
昨年、台湾建国100周年記念事業でも盛んに紹介されていたが、
これは単に国威発揚のためばかりでない。
この高砂族同様、7万年前の港川人の進化過程が、
古インドネシアのスンダランドに至ると言われる。
国立科学博物館
言語学においてもオーストロネシア言語圏は、
マダガスカルから台湾に至る広大な圏域に広がっている。
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さらに、5~10世紀にかけてこの圏域に重なるように、
シュリーヴィジャヤ王朝がこの広大な領域を治めた。
不思議なのは『山の王家』と呼ばれたジャワのシャイレーンドラ朝が
8世紀にシュリーヴィジャヤ王朝を倒し、その覇権を握った。
その後この王朝は、カンボジアからハノイまでを駆逐した。
しかし、ヒンドゥー教の台頭とシュリーヴィジャヤ王朝の再興で、
巨大なボロブドゥール仏教寺院を建立した後、歴史から海へ消えてしまう。
たった100年の盛衰であったが、アレキサンダー大王、チンギスハーンの
歴史をひも解いても、広大な帝国はせいぜい100年位しか維持していない。
その後のシャイレーンドラ朝は、遠くマダガスカル島に渡り、
民族の血を残したとも言われる。
同じくこの海上交易国家の末端にあたる、
琉球王朝以前の古琉球にも辿り着いたと考えられる。
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日本では、単一民族論や日琉同祖論の強い民俗学のためか、
あるいは、自然科学と壁ができている文化人類学のためか、
この南洋進化論を理論立てて展開する人は少なかった。
ジャカルタ国立博物館
インドネシアと言えばジャワ原人が有名であるが、
有史以降の古インドネシアの海洋国家との関係に、
琉球の起源をめぐるキーワードが隠されている。
辿り着いた海人とは、宝貝をとった漁師だけでなく、
南から来たジャワの仏教徒だったのかもしれない。