韓国安東市
日本のソメイヨシノは日本固有種から交配され、サクラの花見は
日本固有の文化であるが、サクラ自体はアジア各地で見られる。
ヒカンザクラはヒマラヤ地方が原産とされ、南中国から台湾、
沖縄・奄美にかけ、広くアジアに生育するとされる。
英語訳でTaiwansakuraと紹介されることもある。
日本で一番早いヒカンザクラの開花は、1月上旬に奄美諸島から
始まり、沖縄本島の那覇まで1か月かけ徐々に南下する。
すると、2月末にアジアのどこかでヒカンザクラ前線に出会う
のではないか、という仮説を立てた。
1月30日 名護
名護桜祭りの日は小雨で満開にはならず、花つきも良くなかった。
2月1日 香港
100年に一度の寒波で、空港内でウメの花を見ただけだった。
2月中旬 ミャンマー
平野部は乾季で、赤い花はデイゴ類、ブーゲンビリア類程度で
山岳部でも桜のような花は見られなかった。
2月24日 タイ北部メーサロン
標高1100mの少数民族の村でヒカンザクラによく似た花があった。
ヒカンザクラは、ヒマラヤから標高の高い南中国、タイの山岳域、
気候の似た北部沖縄奄美の亜熱帯全域に広がったと考えられる。
ソメイヨシノはエドヒガン系とオオシマザクラ系の交配種と言われる。
今年は3月19日福岡で開花し、約1か月半かけ北海道まで北上する。
思えばこの7年間、満開のサクラをめでた記憶がなかった。
海外に居たり、桜前線を飛び越えて移動していたためである。
今年はローカル線で南下しサクラ前線を迎えに行った。
3月25日 山形
雪国は肌寒く、山に残雪が残り、ウメとモモの花が咲いていた。
4月4日 新潟高田
日本3大夜桜と言われる高田公園は、すでに8分咲きだった。
高田は平地都市部の積雪深377cmの世界一の記録を持つ。
民地を歩道として提供し、3階の建物へのハシゴや排水溝など
街全体が雪に対し防御する構造をしているが、地球温暖化と
地方都市の疲弊がかつての城下町のイメージを変えつつある。
雪国では最も早い開花で、春を待つ人々の気持ちが
そのまま百万人高田城鑑桜会に託されていた。
4月5日 富山
岩瀬浜の天満神社はちょうど満開の時期を迎えていた。
遠く残雪の残る北アルプス連峰は春霞で曇っていた。
4月5日 金沢
兼六園のサクラは満開で、外国人観光客で大賑わいだった。
しかし、コケに舞い散るサクラ、カキツバタの曲水に流れる花びらの
繊細さと、庭師の思惑に目を止める人は少なかった。
園のコンセプトは四季折々であるが、秋から冬のイメージが強く、
艶やかなサクラは隣の華やかな金沢城のほうがよく映えていた。
4月6日 福井
福井城の堀にはサクラが散り雨に輝いていた。
神社とシダレザクラの対比は長い時が育んだものだ。
4月7日 尾道
交通が発達し観光地化し、港と坂の街のイメージも変わった。
ただ、人の消えた寺の夜桜は一種独特の風情が残っていた。
4月8日 宮島
外国人客がほとんどで、G7外相訪問の直前で警護が厳しかった。
神社から上の参道は桜道となり、鹿が花びらを食べていた。
ソメイヨシノの魅力は散った後の葉ザクラにもある。
4月9日 博多港
開花から3週間経ちすでに葉桜となりツツジの季節を迎えていた。
韓国でもサクラが咲くと言うことを知った。
サクラ前線はすでにソウル付近まで北上しているようだった。
4月10日 釜山
サクラはとうに散っているはずと思われたが、
釜山駅前にはヒカンザクラのような花が咲いていた。
釜山のマチュピチュと称される甘川洞文化村の背後の山裾には、
建物のカラーに合わせ、植樹されたサクラが所々に咲いていた。
4月11日 安東河回村
ローカル線の車窓はサクラが咲く日本の農村風景と変わらない。
釜山から北へ200km、韓国の精神文化の故郷と称される安東は
ちょうどサクラが満開だった。河川敷のサクラ道には
内外の観光客が訪れ、さかんにシャッターを押していた。
見た目には昭和の時代に植えられたソメイヨシノのように思える。
桜の花びらが舞い散る様に歓喜する子供の姿はどこも同じである。
ただ、ここでは父親が木をゆすっていた。
4月13日 慶州
韓国の古都と称される慶州に再び南下する。
仏国寺ではサクラは散りはじめたが、多くの観光客が訪れていた。
どこか日本と雰囲気が違うのは酒宴がないためだろうか。
世界遺産の仏国寺は周囲が整備されて、サクラ以外の多くの花木が
植樹されているが、今から咲くつぼみの花は何なのかわからなかった。
4月13日山形はサクラが満開と聞いた。
桜前線は日本海を渡り、韓国の安東あたりで結びついたことになる。
調べると山形県寒河江市と安東市は友好都市であり、
過去に寒河江側からサクラの苗を贈呈し交流に役立ったとされる。
しかし、サクラを巡る現在の日韓関係は悲しい。
ソメイヨシノは明らかな交配種であり、その起源がヤマザクラでも
コマツオトメでもエドヒガンであってもあまり重要ではない。
ところが韓国ではソメイヨシノは済州島の王桜が起源と思われている。
歴史を紐解くとその真実が見えてくる。
日韓併合時代、韓国には神社とともに多くのソメイヨシノが植えられた。
戦後、サクラは日帝時代の遺物として伐採の危機にあったが、
植物学者の王桜の済州島起源説によりサクラは朝鮮古来のもので
切ってはいけないと住民に説得されたという。
このいきさつが政治利用や偏見やネット上の恰好のネタとなった。
現在、韓国に咲き乱れるサクラが戦前移入されたソメイヨシノか、
その交配種か、王桜の交配種かどうかはわからない。
しかし、ほとんど似た環境に咲くサクラは多種多様であっても、
同じ美しさを持ち、住む人々が愛着を持つ姿は変わらない。