辿り着いた音楽

Katzu

2012年09月30日 00:04

 ラオスのルアンパバン王宮博物館のすぐ近くに泊まった時、
夕方近くに民俗舞踏の音楽が聞こえてきた。
耳をそば立てると、器楽の中に、なじみの旋律が流れてきた。
『安里屋ゆんた』の〝マタハリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ〟の
旋律が曲の最後に流れ、それが何度も続いていくのであった。



 琉球音楽は、14世紀に中国福建省から三線が伝わった頃から
始まった、というのが定説となっている。
これには少し異論がある。



 琉球三線(サンシン)は、中国の三弦(サンシェン)がその原型とされている。
4年前、その起源を求め南中国に渡ったが、
同じ形の楽器が雲南民俗博物館にあった。
しかし、それは弦の位置が違い、バックに流れていた音楽も
二胡に代表される中国の宮廷音楽で、琉球音楽とは異質のものを感じた。

 三線の蛇皮はもともとインドニシキヘビであったが、生育数が減り、
ビルマニシキヘビかアミメニシキヘビが使われるようになった。
いずれも中国本土にはあまり生息していない。



三線や二胡のオリジナルは、シルクロードを経てインドから
伝わった、ペルシャ音楽の楽器であったと言われる。
一方、琉球民謡自体は、島独自の労働歌、祭事の祈り歌であったが、
その習慣や言葉は、人と共に南洋から伝わったと考えられる。

ベトナム北部からラオスにかけての地域で聞く音楽の中には、南洋的で
ゆったりとした、時々明るく跳ねるような音が加わるサウンドがある。
これは琉球音楽に似た伝統音楽の共通性を感じる。



 世界の民俗音楽の多くは5音階(ペンタトニック)である場合が多いが、
琉球音階はニロ抜き長音階(ドミファソシド)の5音階で、
中国、朝鮮、モンゴル、日本の音階とは異なる。
この琉球音階に最も近い音階は、ジャワ島とバリ島の音階であると言われる。



ジャカルタに住む知人は三線を持っていて、地元の人と合奏して、
その同じ音楽性に驚いたと語っていた。
前述、八重山民謡の『安里屋ゆんた』の歌詞の
〝マタハリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ〟は
インドネシア語で『太陽は万民を照らす』と言う意味になるらしい。



 長い間、口承としての音楽が、黒潮に沿って海上交易とともに伝わり、
インド・中国から伝わった楽器の形を借りながら、
琉球音楽として成り立って行ったのかもしれない。


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 ビエンチャンに向かうバスの中で、運転手が好きなテープを流していた。
決してコンテンポラリーな大衆音楽ではないが、フィリピン的なノリとインドネシアの
クロンチョンのウネリをチャンプルーにしたような興味深い音楽であった。

沖縄から『花』や『島唄』の歌が、アジア、アフリカを駆け巡ったことを思い出していた。
この沖縄からインドネシアに至る、古スンダ王国の大きな領域が、
熱帯の環境と文化を共有することに、改めて気が付いた。


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