ミャンマーのバガン遺跡群は、カンボジアのアンコールワット、
インドネシアのボロブドゥールに並ぶ世界三大仏教遺跡と言われる。
11世紀から13世紀にかけて建てられ、城壁に囲まれたオールドバガンが
その中心で、周辺のパゴダや寺院は3,000を数えるという。
このような巨大な宗教都市は他に例がないが、社会主義政権や軍事政権がこの遺跡を
内外に、歴史研究対象としてアピールせず、未だに世界遺産の登録さえできていない。
建築様式も様々で、スリランカ釣鐘型、ヒンドゥー尖塔型、階段ピラミッド型などに分かれる。
時代区分も違い、類型化も難しい。
近くのニャウンウ―に2泊、あまりの暑さに自転車をあきらめ、馬車を1日チャーターして回った。
その寺院の数の多さに、どれを見るかをすべて運転手に任せた。
アンコールトムクラスの寺院が多く残っているが、細部の壁画や石像は、火山灰に埋もれた
ボロブドゥール、密林に埋もれたアンコールワットと違い、古い寺院の保存状態は良くない。
むしろ、各寺院が、新しさ、巨大さ、荘厳さを競い合っているのである。
運転手にそのことを聞くと、大統領クラスの権力者の個人的な寄進によるパゴダもあり、
その歴史的価値や遺跡登録の支障になっているという。
頭がもうろうとなった夕方、最も巨大で高いシェーサンドパヤーに登る。
かなりの急な階段だが、落日の1時間前からすでに観光客が集まっている。
ここから四方を見渡すと、イラワジ川沿いのほとんどのパゴダが確認できる。
主要なものを数えると200近くあった。
日没後それらはシルエットになって、森に溶け込んで行く、忘れられない景観が展開していく。
古い施設はユネスコが一部修復しているが、すでに新しい宗教施設として、
金色で固められたもの、電気で装飾されたものも多い。
消えかかった壁画や、落下しそうな天井のレンガなど危険な状態のものも多い。
バガンに限らず、朽ち果てる仏塔は数知れず、新しいパゴダが建設されている。
今後、学術的研究、新旧施設の区分、保存修復、ガイドの育成とかなりの手間を要するが、
世界で最後に残された仏教遺跡群であることには変わりない。
マンダレー周辺は、ビルマの古都が点在している。
タイのチェンマイ、インドネシアのジョグジャカルタの位置づけに似ている。
日本の京都・奈良と同じように、歴代の王都インワ、ザガイン、アマラプラ、ミングォンが隣接する。
各時代によりイラワジ川をはさんで遷都が繰り返されたためである。
しかるに、この地域は世界的にはまだ有名でない寺院、遺跡の隠れた宝庫なのである。
ビルマの歴代王をはじめ、時の権力者は巨大なものが好きだったようで、
ここには世界一の巨大な遺産が4つある。
世界最大の経典が納められたクドードォパヤ―、アマラプラの世界最長の木橋、
ミングォンの世界最大の仏塔の土台と世界最大の釣鐘である。
特にミングォンの仏塔は完成していれば、ギザのピラミッド、霞が関ビルと同じ、
高さ150mになったと言われる。旧約聖書に出てくる幻のバベルの塔は実在し、
高さは90mだったと言われているが、こちらは幻の仏塔となった。
その後、コンパウン王朝は、イギリスとの戦争に敗れ崩壊し、イギリスの植民地となり、建設は中止された。
権力者の夢は同じらしく、この時点では人類で最も高い建造物となったであろう。
現在は一辺72m幅の基礎部分が残っているが、地震により大きな亀裂が入り、崩壊が始まっている。
この遺跡が、〝諸行無常の鐘〟と〝兵どもが夢のあと〟の廃墟になるかは、
時の権力者と地元仏教信徒に委ねられるが、それを修復する力量、財力はない。
遺産の認知がこのような状態なので、観光資源も同様に未開発の状態である。
ベンガル湾のビーチリゾート、北部高地の山岳リゾート、高原湖リゾート、温泉、イラワジ川クルーズなど、
イギリス人入植者が進めたものもあるが、インフラの整備、相互連絡が希薄である。
ミャンマーは、一般的に有名な遺跡・観光地はないが、周辺諸国と同様の歴史を共有しているので、
タイ・インド・南中国・カンボジアに匹敵する文化資産・観光資源を所有している。
ミャンマーは、少数民族の地域の未知の歴史遺産を含め、観光資源の未開の大国である。
世界遺産登録、遺跡修復、観光開発、リゾート化する前に、今の現状をしっかり見てもらいたいと思う。