これだけ地球環境が危機に直面しているのに、今の生活を見直さない人々が大多数なのは絶望的だが、
これだけ世界平和を願う人が大多数なのに、また戦争に向かう世界はもっと悲劇的だ。
過去の歴史から戦争のメカニズムは明確に読み解くことができる。
部落単位、国の支配層単位の権力闘争は、やがてファシズムによる支配が訪れ、
反ファシズムからイデオロギー闘争へと向かう。
冷戦後は自由主義社会の経済を巡る戦争から宗教戦争へ向かっている。
というのは定説ではあるが、いつの時代にも少数民族問題がからんでいる。
先のスコットランド独立投票やカタルーニャ地方のスペイン独立問題を例にとるまでもなく、
一見宗教戦争のように見えるイスラム国の戦闘にしても、その背景には少数民族問題がある。
隣りの台湾にしても、都会の観光で飲み食いするだけならわからないが、
田舎を歩けば世界同様の少数民族問題があることに気が付く。
ある少数民族の集落を歩くと郊外に荒廃しかけた墓地があった。
廃村の墓地ほど寂しいものはないが、ここは集落の郊外でまだ多くの檀家が
墓を維持し、弔っている様子であった。
その一角には墓地の立ち退きを示す官庁の看板があった。
台湾の山岳少数民族は、日本統治時代にセデック族の霧社事件が起き、
それ以降、民政を管理しやすいように多くの部族が平地に移住させられた。
台湾総督府は伝統として残った家の埋葬を禁止し、共同墓地を集落郊外に指定した。
少数民族の村々を歩くと、部落の自治と伝統の継承を求める看板をよく目にした。
豊年祭が終わり宿に帰ると、新聞には部落の台東縣から独立する運動のことが記事になっていた。
今でも流浪の民のように家と墓地を移動しながら生活する少数民族の歴史の悲哀を感じた。
日本は長い間、世界にたった一つの単一民族国家と言われてきたが、
実際の少数民族は、アイヌ民族と琉球民族である。
平和の国の日本では既に同化されその差を意識する人はほとんどいない。
しかし、多数派にいれば少数派を駆逐しても構わないと安心する
一見民主的であるが暴力的な心情が、実は危うい世界を作っている。
沖縄では、基地を押し付けられ自然環境も変わり、生活の向上も顧みられず、
収入源も台湾と中国の観光頼みとなれば、歴史と世界の潮流を見れば
いつ民族独立を求める声が起きてもおかしくない情勢なのである。
隣りの少数民族とつきあう方法を知ることが、平和な国をつくる条件かもしれない。