訪れた7月7日の夕方、いち早く香港経済界に激震が走った。
街角では号外が配られ売店の雑誌類は習近平主席の写真が並んでいた。
中国株が急落し上海・深センの多くの株取引が停止されたためである。
市場力を吸い取られても、本土に従わざるを得ない香港の苦悩が見えた。
香港は開かれた中国ではなく、アジアの交通起点、経済の中心だった。
その繁栄を象徴したのが公共交通機関サービスの充実ぶりである。
空港と市内を結ぶ公共交通機関の選択肢は多く、時間、価格、利便性、
天候、観光の観点から選べ、利用者に均一なサービスを提供している。
市内には空港快速、地下鉄、2階建てバス、ミニバス、トラムのほかに
ケーブルカー、フェリーなどあらゆる公共交通機関がある。
2階建てトラムは英国式路面電車で母国ではすでにLRT化したが、
今も市民の足として、レトロな香港らしい深い味わいがある。
道路が狭いため、細く2階建てにすることで輸送能力を高めている。
2輪車は少なく、行商人はトラム線路上を自転車の優先道路のように使う。
観光用化したピークトラムは、牽引式の山岳型ケーブルカーであるが
1888年からの営業で、英国人の居住地を結ぶ目的で造られたという。
中でも最も香港らしい公共交通機関はヒルサイドエスカレーターであろう。
高低差135m、延長800mで、中環の官庁街と高級住宅街を結ぶ。
その途中には古い商店街が交差し、買い物客も多い。
香港政府運輸局管理の公共交通機関で至る所に監視カメラがある。
居住者だけでなく観光客に多く利用されているのは課金システムである。
SONYの開発した公共交通機関のICカードオクトパスは、1997年に
規制緩和の遅れた日本のJRのSuicaより4年も早く導入された。
ほとんどの交通機関、駐車場、コンビニ決済もできその汎用性は
隣国のマカオにまで及ぶ先駆的なシステムであった。
ニューヨークのメトロカードよりも簡単で、JRのSuicaや
ロンドンのオイスターカードより汎用性は今も高い。
香港の亜熱帯特有の気候の中で槌かわれた交通機関計画は、
同じ島国沖縄にあって今も十分参考になるものがある。
中国に返還された香港は、先駆的公共交通の模範となるべきものだが
未だ中国本土にはこのレベルに追い付いた都市はない。
最も海外ネットサービスができるのは香港だけなのだから、
今の生活から離れる未来を嘆く若者達は絶望的だ。
雨傘革命で埋め尽くされた中環付近にはもうその名残りはない。
香港の豊かな生活を支えてきたのは自由社会の競争と表現だった。
学生たちが規制に反発するのはまっとうな表現手段で、失敗しても
良い方向に向かうきっかけとなることはいずれ歴史が証明してくれる。