アジアの街の魅力はエキゾチックという表現に代表される。
単なる異文化ではなく、古い文化との融合した街が魅力的である。
大航海時代、いち早くアジアに進出したポルトガル。
航海ルートに当たるゴア~マラッカ~マカオ~長崎の各港町は
ポルトガルの交易・文化・軍事拠点を目指した街でもあった。
いずれの街も、港、石畳、坂道、教会というキーワードを持つ。
マカオは旧ポルトガル植民地で香港から日帰りできる手軽さがあった。
1999年中国に返還されたが、近年、歴史地区が世界遺産に登録され
商店街も整備され、中国本土からの観光客が連日押し寄せている。
簡単な入国審査を終えフェリー乗り場から旧市内方面へ歩く。
何の前知識もなく、街づくりの視点と経験で歩けば、
大抵予想された所にたどり着く。最も、香港同様に
GoogleMapが使えるので道に迷う心配はない。
気候も植生も沖縄と同じでガジュマルが公園のシンボルである。
長い街区を公園に配置しているのは、計画的な都市である証拠で
防災エリアとして丘陵の緑地が旧市街地を囲んでいる。
ジョアン通りからはボサノバが聞こえ、学校名はEscola~と
ポルトガル語で、サンバ学校(エスコラージサンバ)を思い出す。
すると街中からサンバのリズムが聞こえてきて、一瞬
リオのセントロあたりの雰囲気がしてワクワクしてくる。
顔を上げるとRIO CASINOがあり、坂道にかかると
古い街並みに変わり白い修道女達が横切り、
今度はサルバドールの雰囲気を思い出す。
城塞の周囲は古い住宅地区で、急坂を登ると大砲台にたどり着く。
周囲を一望すると、近くの古い街は目立たず、隣の広東省の
新都市のビル群がすごい勢いで建設されているのがわかる。
セントパウロ天主堂跡の広場は観光客で一杯だが
裏のそれを支える構造を眺める人はいない。
朽ち行く世界遺産を維持するのは大変なのである。
露地には土産屋が連なり世界遺産の経済効果は大きい。
ここでも、本国観光客の購買意欲と食欲はすさまじい。
かつて高度成長時代の日本も、ハワイと言えば新婚旅行、
買物と砂浜で騒ぐことくらいでサーフィン、マラソンはおろか
世界遺産になった火山を見に行く観光客などいなかった。
セドナ広場のデザインはコパカバーナと同じで波をイメージしている。
民政総署の中庭には、街の喧騒から逃れた紳士が一人佇んでいた。
背後の坂道を登った聖オーガスチン教会付近は、静かで最も
中世の街並みの雰囲気のある世界遺産の集中するエリアだが、
売店も飲食店も少なく、興味のある欧米人以外の観光客は少ない。
ポルトガルの後をスペイン、オランダ、英国、ドイツ、アメリカなどの
欧米列強が追随した歴史があるが、結局、アジアと西洋文化が
深く同化したのはポルトガル文化だけだった。
同じポルトガル圏のサンバの唄心はサウダージ(悲しみ)にあり、
母国のファドの唄も同じく情感のある表現手段を持つ。
宗教的崇高さと人間的な感情がアジア人にも理解されたと感じる。
マカオは様々な人種と欲望損得が交差する国際都市であるが、
ポルトガル特有のサウダージの感覚が、そのエキゾチックな魅力を
開花させる一方で、金箔のビル群がそれを飲み込もうとしている。