ダンシャリズム

Katzu

2017年01月06日 17:13

 年末から家財の整理をしている。数年前から始めていたが中々進まず、家族構成が変わることでようやく本格的に作業が始まった。モノを断ち、モノを捨て、モノから離れる断・捨・離は、ヨガの断行・捨行・離行の思想から来るらしく、その行動の中心は女性である。どうやら女性の方がすべて捨て忘れられるようにできてるようで、むしろ男性の方がウジウジと過去のシガラミやプライドにしばられ、PTSDに罹った男はゴミ屋敷の主人になってしまう。
街のゴミはその街の暗部を凝縮したもので、公園の清掃活動は人とペットと生物の関係を理解することになり、海岸の清掃活動はグローバルな動きを知る最前線となる。




整理の分析
モノの山を見ると、その原因は自分の生産性も節操もない薄利多趣味にあることがわかった。広く浅い知識を必要とする商売から始まったのでまた元に戻ったともいえる。

ジャンル分けから始める。

アウトドア関係は
登山、釣り、ダイビング、スキー、キャンプ、自転車ほかスポーツ関係の用具

インドア関係は、
音響機材、映像機材、楽器、レコードなどの音楽媒体、料理、工学専門書、古銭などのコレクターもの

これらを6畳一間に入れること自体不可能なのであるが、一応目標とした。

整理の対策
1、時代ごとジャンルごと断つ
2、使うかな?価値のない、見ないは捨てる
3、アナログをデジタル化する
4、残ったジャンルごとに棚にまとめる



わかったこと
〇もったいないは時とともに消える
〇アナログ音はデジタル化しても使える
〇同じような写真は見ない
〇捨てると決まった瞬間、モノは命を失うように汚くなる。



〇高価なものはいつのまにか消えている
〇いらぬものはいらぬ

〇捨てる判断よりもゴミ分別が難しい
 カセットテープなどはその最たるもので、もったいないを通り越して、プラスチック、埋め立てゴミ、雑紙の分別作業にヘキレキしてしまう。



 ここまでは早かった。
しかし、断捨離を甘くみてはいけない。
心が虚になるモノは失ってはいけない。
本当の恐ろしさは、モノがヒトの断捨離に移ることである。

 中学生の頃まで古銭のコレクターだった。
小学3年の頃、祖父が亡くなった時に分家を代表して明治時代からの古銭を預かった。
兌換券や銀貨など、戦争の時代の匂いのするものが多かった。
何十枚もある一銭硬貨を年別に並べると、昭和20年に近付くに従い厚みが薄くなることに気付き夏休みの研究にした。



父は中国戦線で古い寺の下から持ち帰った古銭が唯一の戦利品だと言ってくれたのが、大泉五十という西暦10年頃の貨幣だった。日本最古の貨幣が奈良時代の和同開寶だから、その700年も前に造られた古銭を手にし、子供心に中国の恐るべき歴史の古さを感じた。

小学生ながら骨董屋に行くのが楽しくて、コツコツ小銭でコレクションを増やしていった。



ある時、貿易銀が二千円で売られていた。あの当時七万円ほどの価値があり、喜び勇んでお年玉で買ってしまった。帰って調べるとレプリカだった。
女の子にイマジンのレコードを貸したら、なぜかお礼にくれたのが天保通寶だった。



コレクションには戦国時代の永楽通寶はなかったが、江戸時代に流通した寛永通寶も多く、裏に刻まれた波の数と文字で価値が違った。老後の古銭整理の手始めに、穴銭から自分の六文銭を選んで帰るつもりでいたが、その古銭を集めたアルバムが探せなかった。



 失ってしまうと欲しくなるのがヒトもモノも同じで、市内で50年以上営業している古銭ショップの南瞭に行った。代変わりの主人に話を聞くと、古銭の価格は大暴落で価値のあるモノは限られるという。2束3文なら取っておいてというのがコレクターの本心であろう。


片付けの最後の日、最後の最後の段ボール箱の底から、かろうじて古銭アルバム2冊が見つかった。すでに失われたモノもあったが、探し懐かしく見ているうちに、片付ける時間の何十倍もの時がすぎたことに気付いた。それは自分の過去と向き合う時間でもあった。




 断捨離の恐さとは、失ってからでは遅くこうして書き留めておかないと過去の歴史も知識も、時に人のつながりも失うということである。
仏教に帰依する者以外は、せいぜいお掃除テクニックの知恵くらいに留めるべき恐ろしい言葉なのである。



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