2011年04月01日

震災復興計画その1

あらゆる計画は現況調査から始まる。
 1960年代、ニュータウンの新市街地開発が大都市近郊で進んだ。
その後、区画整理事業により日本の市街地の40%が形成された。
そして日本列島改造からバブルの崩壊で日本の市街地整備は終息に向かった。 はずであった。

 しかし、東北地方の太平洋側の多くの町が失われた現在、
瓦礫を片付け終わる前に、新しいまちの計画を創らなければならない。
都市計画コンサルタントの仕事は都市マスタープランや都市調査などの
官庁の計画業務が主体と思われているが、
実際は区画整理や民間開発の利益で成立っていた会社も多く、
バブル後、職を追われた技術者も多い。

これからは、長い間眠りかけていた計画屋の出番です。
ハードな知識と経験とアイデアと情熱を持ち寄れば、
きっと、きっと東北は再生できるはずです。

 はじめに名取市の海岸に向かう。
現場までは50kmほど離れているが、宮城県内に入ると
橋のジョイントの衝撃が被災地に近づくほど強くなる。
車を名取市の仙台東部道路付近に置き自転車に乗り換える。
閑上地区に入ると粉じんと海水と油の混じった匂いでマスクなしでは苦しい。

震災復興計画その1
      
     大岩が田んぼに運ばれていた。

 震災復興計画その1




 残された地区のシンボルの日和山神社に登る。南側で残された建物はほとんどなく、確保された道路だけがわかる。
空襲後の東京の写真を思い出した。





 その後、名取市から仙台市宮城野区、松島、石巻、女川、気仙沼と3日かけて自転車で調査した。どの被災地もテレビ映像以上の悲惨な状況であった。特に石巻から女川に入ったときの光景は筆舌に尽くしがたいものがあった。

すべての人間の生業が、次元を失くして狭い女川湾に閉じ込められていた。

震災復興計画その1

今後、公的機関により数量的な調査、解析が行われるであろう。

しかし、それでは遅い。

震災復興の手掛かりは、残されたものから想定できる。  続く





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