2011年06月24日

普天間の都市計画

 6月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が
終わった日とされ、県が犠牲者を悼む「慰霊の日」と定めている。
国の機関は琉球大を除き労働日であるが、沖縄県限定の公休日である。
知合いに、正午には遊んでないで黙祷しなさいね、と言われた。
今年は管首相も平和祈念公園で開催される沖縄全戦没者追悼式に参列する。
 
 前日、外務省の人を嘉数高台に案内する。
ここに登ると、普天間基地移設、沖縄の都市問題、景観、地形、歴史など
様々な問題が一望できるからだ。
沖縄線では米軍が北谷、読谷に上陸、読谷、嘉手納飛行場を制圧、
南進の際、嘉数の戦いが行われた場所である。

普天間の都市計画

戦後建設された普天間基地の周囲は、住宅密集地となり、丘の稜線まで
ばらばらに建物建設が進んだ。
市街地景観も緑被も道路もちぐはぐな印象を受ける。
街で唯一平坦な一等地である基地の将来計画は、どうなっているのであろうか。
県の土地利用方針策定調査によると、普天間基地は
平和シンボルの国際的高次都市機能を備えた多機能交流拠点都市」となっている。

他の跡地の方針は、
キャンプ桑江: 沖縄らしい実感・継承し健康・安全生活ができる職住接近のまち。
キャンプ瑞慶覧:交通結節機能と広大な跡地を活かした新産業都市。
牧港補給地区: オーシャンビューや歴史文化を活かしたエンターテイメント・リゾート都市。
那覇港港湾施設:沖縄の玄関口にふさわしい交流・交易型ウォーターフロント。

このように百花争鳴の案の中からバラ色の方針が打ち出されている。

特に嘉手納以南の地域は那覇大都心を構成し、バイパス、モノレール延伸、
トラムなどの構想もある。
ただ、嘉手納基地が沖縄を二分する構造は、66年前と何ら変わらない。

普天間の都市計画

コンサルにばかり任せていると、住民不在の計画が先行していく。
住民主体の計画、意見調整がないままに、歴史と政治の波に翻弄され、形式だけが残される。

 最近ここに登ると、普天間基地の印象が少し違って見えてきた。
危険で場違いな基地の印象から、基地を中心に街が取り囲む、
一体的な城塞都市のように感じてしまう。
それは基地経済のせいか、軍事的ガバナンスのせいか、良くわからない。

 嘉数公園には観光客も訪れるようになった。
三線を買った観光客が記念写真を撮っていた。
ちょっと貸しなさいと言って、1曲引くと階下の団体客から拍手が起きた。

普天間の都市計画





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Posted by Katzu at 01:18│Comments(0)沖縄
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