2011年07月05日

山岳信仰のかけら

 梅雨の合間の晴れの早朝、山に入る予定で車を動かす。
起きたばかりで平衡感覚が変だと感じ、降りて見るとパンクであった。
昨日、復旧の遅れた未舗装の三陸の被災地を回ったため、
瓦礫の金属の欠片が刺さっていたらしい。
寿命だったので、近くのガソリンスタンドで新タイヤに交換する。
時間がすぎ登山は諦め、
登山口で情報を収集する。

 朝日連峰の古寺ルートは一番手頃で、今まで10回ほど利用しただろうか。
先々週山開きしたばかりで駐車場は、満車状態であった。
宮城ナンバー以下、県外ナンバーが多かった。
震災以後、変わらぬ山の姿を求めに来たのだろうか。

山岳信仰のかけら

古寺鉱泉朝陽館は、40年前と全く変わっていない。
以前は山形市内から1日がかりであったが、今は車で1時間弱である。
登山客はもう出た後で主人一人だった。
今年は積雪も例年通りとなり、登山ルートは鳥原ルートもピッケルなしで大丈夫らしい。

山岳信仰のかけら

ぶな峠に行き、うば石を探す。
登山者の時は興味がなかったが、歳を重ねるうち
みちのくの山岳信仰の奥深さを実感するようになった。

通りかかった車に聞くが、解からないという。
山道ドライブで会うのはばあさんと息子の組合せが多い。
旧道を探し諦めた帰り道、また同じ車に出会う。
“俺も気になって探したら、見つけ拝んできた”と言う。
それは峠の駐車場の向いにあった。

 柳田國男の「老女化石譚」によると、全国の霊山の麓には
姥ヶ石伝説が数多く残っているという。
その伝説は女性が女人禁制の結界を破ったため、
神罰を受けて石と化したといわれている。
柳田は、その山を信仰した姥が山で修業を積み、
往返の道者たちがこれに基づいて石に名づけたのを、
その慣行が断絶して後、悪い方にこれを解説するに至ったのだろう。
                                         と説明している。
 似たような話は海外にも多い。
南洋パラオの話は、女人禁制の催事が行われるバイ(集会所)に、
子供を抱いた女性が近づき、中の様子を覗いたために母子ともに石になった伝説と
その石が残っている。妙に泣けるような印象深い石であった。

山岳信仰のかけら


ぶな峠のうば石は、リアルな姥地蔵で恐ろしい。
近世のものと疑ったが、台座をみるとかなり古く解読できない。
金剛山から富士山、月山でも修業を重ね、山岳信仰の開祖といわれる
役行者(えんのぎょうじゃ)も恐ろしい風貌画が残っている。

山岳信仰のかけら

紀伊の大峰山の女人結界の碑も、この姥石も同じ観念の強い宗教心に
基づいており、日本の山岳信仰の底辺のつながりを感じる。

日本人の自然崇拝の感性を現代社会にどう反映できるのか、
大震災を経験した後、いつも頭の片隅から離れない。



タグ :山岳宗教

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Posted by Katzu at 10:11│Comments(0)山の環境
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