2012年02月14日

桜花

桜花

 太平洋戦争末期に開発された桜花(おうか)という特攻兵器があった。
一式陸攻の下部に搭載された有人誘導型ミサイルであるが、
そのフォルムは美しく、小学校時代そのプラモデルは羨望の的でもあった。
桜花の開発主任の三木忠直少佐は戦後、新幹線をデザインした。

桜花

連合国軍側はこの自殺兵器に、BAKAというコードネームを付けたが、
サクラのように舞い散る日本人の人生観を、強烈に植え付けたという。

1912年にワシントンDCに贈られ、植樹されたサクラは、
アメリカでは既に、日本人の平和の証となっていた。

桜花

 先週、八重岳の桜まつりに行った時、米国人の観光客が
多いことに驚いたが、その理由がわかった。
寂寥する虫の音、花の散るはかなさ、わびさびの感性は
日本人特有なもので、欧米人は理解できないとされてきた。
最近は、アジアのエキゾチックな魅力がブームとなっている。
その観光の一つとして、桜見体験でもしているのだろう、と思っていた。

桜花

 アメリカの旅行サイトや書き込みを見るうちに、ある事実が浮かんでくる。
米軍統治下の1963年、八重岳の米軍基地が、頂上の一部を除き返還された時、
琉米親善委員会から、何か記念になるものを作らないかと区長に依頼があった。
当時の区長は、モニュメントよりもサクラにしましょうと返答した。
八重岳周辺にはヒカンザクラが自生していたが、地元住民と米軍が協力して、
沿道に4000本のヒカンザクラの植樹を行ったという。

 日本人からすれば、日本で一番早い桜まつりで有名になった、
サクラを選んだ区長は偉かった、ということになるが、
観光客はこの事実を知らない。

だが、アメリカ人のニュアンスはちょっと違う。
駐留軍は八重岳を借用したお礼に、記念碑を建てようと考えた。
しかし、本部の人々の要望もありサクラを贈呈し植えた、と紹介してある。
                                    Okinawa Hai

これは、逆の立場で途上国に援助をすることを考えれば理解できる。
自分が公園に植えた木が大きくなり、地元の人に喜ばれていたら
家族に見せたいときっと思うだろう。
欧米のデモクラシー、ボランティアの精神とはこういうものだ。

桜花

 サクラは、日本の特殊な文化と環境を理解する良い材料でもあり、
さらにそれを取り巻く歴史が作られる。
戦争そのものに美談はないが、
事実が共通の理解となれば、グローバルな関係を保てる
美談となっても良いのではないだろうか。



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Posted by Katzu at 23:45│Comments(0)沖縄
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