空間デザインの変化
ものづくりの立場から、景観に対する意識を常に持つことが大切であるが、
日本人の景観に対する意識も、時とともに変わってきたと感じる。
福島第一原発の施設は、70年代当初は科学と権威の象徴の
ような存在であった。
その後、原子炉建屋は工業施設の冷たいイメージを払拭させる、
見かけ柔らかいデザインが塗装された。
しかし、そのデザインイメージは建屋とともに吹き飛んでしまった。
一方、砂漠にODAで新設された電信柱を、
文明の証として喜ぶ非難民キャンプの人達がいる。
この状況では、発展途上国では生活優先なので、
砂漠景観を守れという人はいない。
これと同じ状況が三陸で行われている。
まだ瓦礫の撤去が行われない地区で、被災者の
生活を守るためライフラインの復旧が急がれている。
景観デザイン以前の問題として建柱が優先されるのは、
誰も異論を唱えない。
電気事業法で造営物との離隔距離が定められているから仕方ない。
電線地中化が標準のイギリスの先生から、
なぜ日本は電線を地中化しないのかと聞かれた。
新市街地での地中化の提案、既成市街地でのミリを争う苦労もしているので
一言では答えられなかった。
日本では1995年に電線共同化の法律ができたばかりで歴史も認識も浅い。
歴史とともに変わる景観に対する意識であるが、
設計する側は常に空間をイメージしなければならない。
例えば
公共温泉施設の例であるが、設計者は近景の温泉の湯船、木のフレーム、
中景の庭の芝と黄色い花(ヒベリカム・カリシナム?)、垣根、
遠景に残雪の月山が見渡せる空間を設計したと思われる。
この景観構成は教科書とおりの設計ではあるが、
日本的な大好きなパターンである。
ぼーっと外を眺める人もいる。
しかし、だんだん被災地ではこんな状況ではないだろうなと思いつつ、
電線と電柱が気になってくる。
これでせっかくの設計者の意図がかすんでしまう。
電力会社とNTTは準国営企業の立場と電気事業法を盾に、
単独で進むことがあるので気をつけたい。
これは空間デザインの難しい部分で、街路や公園設計などでは
何度も苦汁を味わってきた。
施工途中で状況も変わり、出来たものを見るのが恐いのというのが本音である。
どこまで徹底できるか、どこまで許されるか、どこまで係われるかは
設計者の意識次第である。
たとえ復旧が急がれる災害地の設計であっても、
忘れていけない設計者の良識であろう。
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