ネットを離れ野に出でよ

Katzu

2015年09月08日 18:35

 本をあまり読まなくなったのはいつからだろう。
遠視が進んだ頃かなと思ったが、ネットで情報を
得ることが習慣化してからだと気が付いた。
指で書きなぞる、耳を傾ける、声を出し読む、という行為だけでなく、
自然に身を置く、背景を想像する、思考を組み立てることも減り、
外で鏡に写さないと、だんだん感性が退化していく気がしてくる。



新国立競技場の設計や、東京オリンピックのロゴデザイン採用を巡る
騒動には、作る立場と受ける立場の奇妙な無責任関係が成立している。
デザインのあらを捜し喜び、ネット上であおる人々も陰険だし、
身内を擁護するようなデザインを専門とする人々も説得力がない。
あえて欠点を上げれば、2つのデザインに共通するのは、
コンセプトの説明が利用者に明確に伝わらなかったことであろう。

1995以降のネット社会
 Windows95が発売されからデザイン・設計の仕事のスタイルが変わった。
コピー&ペーストができるようになり作業効率は各段に高まった。
一方、その後の世代は、業務報告や学術論文に至るまで
倫理観無きコピペをし、一度通れば繰り返す者も現れる。

外に出る時間があれば、設計やデザインをパソコンで数案作れてしまう。
自分でコンセプトさえまとめれば、あとはネット世代の部下が形にしてくれる。
知名度か経験さえあれば、流れ作業でデザインは大量生産されていく。





 例えば、このデザインは、富士山に朝日が昇りはじめると、
上空の霞が金銀で輝く風景をイメージした試案だとする。

さらにクライアントから東京のTの字を強調するように、
直線と円でさらにシンプルにという指示があったとする。
デザイナーは部下に内容を伝え、修正を指示する。
部下は経験がなくてもGoogleの画像検索をかければ
同じようなデザインが幾つも見つかる。
彼はその中から似たようなデザインを選び、少し修正を加える。
この世界ではどこの事務所にでもあるような情景である。

今回の失敗は、クライアントが審査委員であったことと、
デザインの説明がされなかったことに加え、変更を重ねるうちに
チェックを怠るという基本的な部分を見落としたことにある。
専門家の持つ修正能力の高さゆえに、最終的に
本末転倒なものを設計してしまうミスはよくあることである。




閉塞されたセクト主義
 海外ではDesignというと立案から実施に至る設計全般を意味する。
日本では構想→基本計画→基本設計→実施設計の各分野に分かれ、
デザインというと計画までの絵作業をイメージする。
計画コンセプトのつもりで行ったプレゼンが、いつの間にか
設計そのものに誤解されてしまうことはよくある。



新国立競技場の原案は自転車ヘルメットをモチーフにしたようなデザインで個人的には秀逸だと思う。ただ、日本の厳しい構造基準と、設計見積り方の違いで、この結果に至った経緯は残念だがよく理解できる。地盤屋、土木屋、建築屋、設備屋がそれぞれ見積り設計し、合算で諸経費を数10%上乗せする国交省の見積り基準を海外のデザイナーは理解する由もなかっただろう。ましてや現場の地質条件などどこまで調査できたのだろう。一方、国内のゼネコンは、海外の事業者が入り込む余地のない特殊な建設市場を築いてきたため、国内の国際コンペという慣れないシステムに右往左往している。

白紙撤回の理由は、キールアーチ構造により2500億円かかることが原因とされるが、デザインに問題があったわけでもない。野に出て走れば、橋梁構造から離れて最近のヘルメットのように全体で荷重を受け持つモノコック構造にすればいいと気が付く。
日本的でわかりやすいデザインが好まれるが、むしろ、ザハ氏の修正案の方が気になる。




 経験に裏打ちされた者の言葉には耳を傾けるべきものがある。
前の事務所には戦前からの技術者がいて、いつも
彼は迷ったら現場に戻り考えることを教えてくれた。
どんなにネット情報が現実に近づいても、
デザイン・設計をする者の基本中の基本であると思う。




 中国では欧米系のSNSは規制されている。
中国語のサイトを見るのも面倒なので、旅行の情報を
タブレット端末にハードコピーし、ネットから離れることにした。
その結果、過去の旅のスタイルに戻ることで、言葉を考え、
人を選び、新しいものへの興味が湧き、感性が刺激され、
現実の中国の状況と将来さえも見えてきた。
チベット文化の眼眩む様な色彩美とデザインに接するうちに、
ネットの情報とは何と偏りがあり、無知であることを知った。

学校教育の場ではかつてはテレビが悪玉となったように、
現在ではネットを見る時間が制限される時代に入った。
若者やデザイナーに限らず、大人も思考が行き詰ったら、一旦
ネットから離れ、外から自分の姿を見つめることが必要だと感じる。







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