3月13日、名護に戻るとまだサクラは咲いていた。
ヒカンザクラの開花は、実に2か月続いたことになる。
2日後、山形ではまだ真冬に咲くユキヤナギの花が川原に咲いていた。
雪国の桜は雪が消えると、待ちわびるように一気に開花し、約2週間で開花期間は終わる。10年ぶりに開花から散花までをすごした、郷里の馬見ヶ崎川のサクラデザインを振り返る。
4月10日、朝、窓から見える川原のサクラは一気に開花して、冬ごもりは終わった。
春一番を告げるイヌノフグリの花もサクラに合わせると美しい。
春一番のツクシも同じく春らしいデザインである。
シバザクラとソメイヨシノの組み合わせもいいが違和感を覚える。
何となくこれらの風景は春らしいと感じるかもしれない。しかし、通常はイヌノフグリ⇒ツクシ⇒ソメイヨシノ⇒シバザクラの順に開花(土筆は胞子蒔き)するので、今までは同時に開花するという印象はなかった。今年は冬の平均気温が高く、春の寒気の到来が一気に開花を促した結果であり、これも地球環境の変化がもたらしたものである。
1km続く満開のサクラのトンネルは、早朝を除き自然渋滞が発生する。
歩道のサクラのトンネルは更に見事である。建築限界の車道側を伐採した結果、川側に枝が垂れ下がる。しかし、根が張り路面は凹凸し、夜に走るのは危険である。さらに観光としてのデザインを考慮すれば、ガードパイプが残念である。安全な法面の上でさえガードパイプを設置するのは、日本の管理行政の最も醜い例である。
桜の寿命、道路河川の維持管理はもうこれが限界で、その最後の輝きを見ているという感慨に至る。
実はとうに寿命を迎えた下流側の古木にも味がある。
ソメイヨシノの寿命は50年程度で、下流の昭和初期に植樹されたソメイヨシノは既に寿命で、徐々に上流に植樹されていった結果、現在勢いのあるサクラは60年代に植樹されたもので、サクラの隆盛は年々上流に移動している。
宴会場を設けなくても、カモの流れる河岸には自然に花見客が集まる。
幼少の頃は川原を歩けば必ず知り合いに会い、夏休みは毎朝ラジオ体操に出かけたものだ。年齢層もインフラの形もすっかり変わったが、変わらないものがある。
サクラデザインの美しさは、サクラ単体のみならず借景で決まる。
対岸のプールわきの公園にはヒガン桜が混じっており、里山の借景を意識した設計者の意図が感じられる。昔はこれによく似た山桜が自生していたが、ソメイヨシノ全盛の現在はむしろ作為的なものを感じてしまう。
福島の花見山が最も日本の里山らしい風景と感じたと同様に、山形のサクラが最も雪国らしい風景と感じるのは、川、サクラ、雪山の3点がセットになっているからである。
サクラの花はつとめて、横から光が差し込む頃に映える。
西の朝日連峰
北西の月山
北の葉山
東の北蔵王連峰の雁戸山
時を失したが、東の蔵王山系は夕日に映える頃が良い。
四方に名だたる百名山を望めるサクラスポットを意識する地元市民は意外に少なく、むしろ観光のキャッチコピーとしては海外にも十分アピールできるだろう。ソメイヨシノの回廊デザインは、派手で栄華の一瞬を表し人を引き付ける魅力がある。
町内を歩くと、歴史的に松原の地名の語源になった古い松林に咲く近所のサクラが、緑の背景に浮かぶ最も安定したサクラデザインである。
夜の桜はさらなり
車窓から見る夜桜のトンネルも有名で、開花期は自然渋滞が起きる。
夜店と駐車場がないと家族、若者が集まらないだけで、桜自体の美しさは変わらないはずだが、歩行者は車のライトが夜桜見物の邪魔になる。
市内の夜桜は霞城公園が有名である。
隣県の高田の夜桜は、ライトアートとして海外にも人気がある。
2016 高田公園
桜の散る姿は、日本人の死生観に訴えるものがあると言われるが、海外ではむしろ楽しむ姿を目にする。サクラが散る姿を見る時間は短かく、今回は車窓から見ただけだった。
夜桜はライトに照らされ、流れ星のように散って行った。
雨がしたたり落ちる満開のサクラから
4月28日には一気に花びらが落下していた。
雨うち降りたるつとめて
サクラの道にはワダチができていた。