原発設計者の覚悟

Katzu

2011年11月10日 14:15

明日が消える日〜どうして原発〜  



 那覇市桜坂劇場で上映中の、1989年に作られたこの55分のドキュメンタリー
映画を見ていると、今、同時進行しているような錯覚におちいる。
この感覚は、津波で被災した三陸の各漁港を回っていた直後に、
山下文男著の津波TSUNAMIという本を、読んでいた時と同じものである。
過去の教訓が生かされず、同じ失敗を繰り返してしまった。
 22年前、福島第一原発第4号原子炉の圧力容器を設計した田中三彦氏は、
原子炉の危険性について告発した。
設計だけでなく、現場施工の致命的欠陥まで指摘していた。
格納容器を設置する際に、容器が歪んでしまったために、
ジャッキで無理やり成形したという。

 氏によれば今回の事故は、地震発生時に既に損傷しており、
1000年に一度の津波による原因だけではなく、
原子炉の耐震設計指針自体に問題があったと指摘している。
このような事実は、東電や原子力委員会からも無視され続けた。
社会の後押しもなかった。

 設計屋に話が来るのは、事業が進んでからの段階で、
クライアントからの要請内容はすでに決定している。
物を作る前提で計画、設計する技術屋は、
現場とのギャップにもがき苦しむ。
彼は自分で設計、施行管理に関わりながら、予測のつかない危険な物を
作ってしまったことを、後悔したのだろう。

 この辺の経過は、設計する立場の人間として共感するものがある。
一般の人が生活するのに支障なく、また商業活動ができるように、
原発を必要とする社会の要請に応えてきた結果がこんな結末になった。

 技術屋の立場で、自分のコントロールできない物を供給することに、
はっきりNOと言える設計屋であるべきだと思う。
しかし、今の日本のシステムでは、プロジェクトに反対したり、
そのシステムに納得のいかない人間は職を追われてしまう。
しかも、戦い続けることなど、周囲の事を考えると簡単にできるものではない。

日本は、自国の科学技術におぼれ、他人任せになり、
グローバル化が遅れた社会になってしまった。

 地震予知協議会や原子力学会の最近の例会の内容を見ると、科学万能、
予測シュミレーション万能ではないテーマが多い。
歴史工学や安全工学、除染技術、廃炉技術などについて、
遅ればせながら議論され始めている。

原発の新設、再稼働について、原発技術者は確固とした立場と、
提供するものの安全性を背負う覚悟が求められる。

 映画は、骨ガンで亡くなった原発労働者の父を持つ主婦の疑問から始まった。
これは現在進行形であるばかりか、日本の将来の姿を映し出している。
ガンで亡くなる人が増え、出生異常が生じた時、次の原発被害がはじまる。


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