公共デザインの今昔

Katzu

2011年12月02日 14:18

 

 摩文仁の丘には30年前、都市公園として整備される前に
一度来ただけであった。
新しい資料館周辺は新たに平和祈念公園として整備され、
幾度か見学したが、摩文仁の丘は霊域園路として、静かな環境にあった。
神聖な場所の慰霊碑であるので、派手さはないが、
一つ一つに当時の設計者の、意図や背景が見えてきて興味が沸く。





 多くのモニュメント、施設がある平和祈念公園であるが、その中でも
平和の丘の慰霊碑は、御影石を球面で加工した、巨大で貴重な彫像で、
多分、日本一高価な慰霊碑であろう。
コンセプトは、丹下健三氏のデザインの広島平和都市記念碑に通じる。
慰霊の厳かな気持ちとは裏腹に、背後の製作経緯を調べたくなる。



当時、これだけ広い芝生空間に、園路と記念碑を配置した公園は、少なかった。

24万人を刻銘した平和の礎は、沖縄本島にない黒御影石を使っているので、
ここだけ異空間だと感じていたが、和洋琉混合を意図したものだろうか。
道に迷うことはないが、ベルリンのホロコーストの石碑広場が脳裏をかすめる。



 モニュメント設計の難しい点は、その精神性の表現である。
宗教的にも、民族的にも、歴史的にも偏ったものは朽ち果てる。
南洋では、ある日本の団体が立てた立派な慰霊碑が、ジャングルに
埋もれかけているものもある。
公園施設は、地元の人に愛されているかで価値が決まってしまう。



 尖塔は権力や物欲、目標を表現するのに対し、
心や人間を表すのは、球体、曲面の柔らかさである。
加工技術の進歩や癒しの時代に、求められるデザインも変化してきた。



最近の公園は、設計者の意図が強烈に見えない、極力主張しない、
バランスのとれたものが多い。
この傾向はバブル以降、顕著に見られるが、それは整備グレードの違いでなく、
公共デザインの指導と考え方が、公に示されたことも影響している。

 2004年の景観法の制定により、地域の景観から公共施設全般、
細部設計、材質に至る指針が示された。
国交省公共事業における景観評価の基本方針では、委託された有識者や専門家、
景観アドバイザーによる会議や、地域のワークショップなどを通じ、
地元の意見調整や各事業の指導、評価を行うことになった。

その結果、景観デザインはそこにある自然・歴史・文化に合った
環境づくりを目指すようになった。

 作者の意図、個性を活かした公共設計は、デザインのストーリー性が必要になり、
その環境に関連のない、機能的でない公共デザインは排除されていった。

歩道のブロンズ像や装飾入り時計・ベンチなどは、会計検査の対象となり、
短絡的な意図のデザインは提案できない。
地元名産品などでも指摘を受けるようになった。
下の“サンゴの卵”という公園スツールでさえ、管理者、大学、石メーカー、
地元地権者代表との調整等で、完成まで1年近くを要した。



 最近の公共デザインは、日本人の価値観や環境に合ったものに限定され、
個人のデザインは、個性的な工業デザインなどに活かされるようになった。

 巨大で個性的な、岡本太郎の“太陽の塔”。
子供心に、バビルの塔とウルトラマンを見つけたかのように、
ワクワクしたモニュメントには、もう出会えないのだろうか。


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