設計者のトレサビリティ

Katzu

2012年01月18日 00:34

 自分の関わった仕事の結果を、見る機会は少ない。
その後どうなったかは、興味の範囲で覗くのが恐い場合もある。
計画者の立場では、出来上がったものがどう変わっているか不安に感じ、
完成した街から足が遠のくこともあった。
設計者の立場では、現在も機能しているか、自分のミスがなかったか、
心配すると限りなくストレスを感じる。
施工まで関わった立場では、壊れていないか、
維持管理はできているか、心配とその後の姿の興味が尽きない。

 しかし、それから目を背けてはいけないと思う。
同じ街に住んでいると、大雨が降れば調整池や河川に、地震後は護岸や擁壁に、
雪が降れば消雪道路に、イベントがあれば公園にと足は自然に向いていた。
そして、次の計画や設計に役立てたいと思う気持ちとは裏腹に、
どうしようもない現実に直面してしまう。
要らないもの、要るものを間違えたり、バブル後、利用者が少なく、
危険な状態になっていたり、反省しきりのものもある。



 設計者は次の仕事に向かい、後ろを振り返る余裕がない。
設計者として、年間数千万の設計をこなし続けることは容易ではない。
走り続けた末に、いつも気になりながらも、同じ仕事のやり方で、
同じ間違いを繰り返すことになる。

 ようやく自分の仕事を客観的に見れる時が来た。
今回は、冬の公園をテーマに見て回った。
振返ると、満足して計画・設計できたものは何一つない。
業務以上の思い入れを深くしたものが良いとは限らない。
むしろ満足に近づくほど、独りよがりの作品になる。



 イルミに照らされたポケットパークや、雪国風情の落ち着いた公園も、
それなりに評価をうけたものは良いが、
何よりも良かったと感じるのは、人が集まり楽しんでいる姿である。



設計者倫理やアフターケアの課題も重要であり、
技術者、設計者が自分で自分の仕事を再評価、見つめる
設計のトレサビリティ(追跡確認)の時間が必要であると感じる。


関連記事