黒潮で結ばれる石のデザイン

Katzu

2012年03月04日 08:02



 東京からの来客と、LCC価格で身近になった宮古島に渡った。
宮古島は3度目であるが、ミヤコブルーと呼ばれる海の色は
独特な柔らかさがあり、常に変化し、いつも魅了される。

 宮古の文化も独特である。
奇祭パーントゥで有名な島尻地区の隣の狩俣集落に行く。
村の入口には石門があった。



笠木の部分は上げ直し再築したようだが、
文字通り集落のゲートの位置付けにある。
このフォルムは、沖縄本島や日本の城門とは違い、
単なる防御のための砦門ではない、宗教的なものさえ感じる。
狩俣は渡来人が形成した集落で、個性の強い宮古島の中でも、
独特の文化を持つと言われ、容易に観光客を受け入れない雰囲気がある。



この日は気温25℃で気温が上がったせいか、
ザ-という拝所で蚊の大群の襲来に遭い、4か所を刺され逃げ帰った。

 この石門を見て、海外の石の遺跡を思い出した。
韓国には世界遺産に指定された和順、高敞・江華遺址をはじめ、
無数のコインドルと呼ばれる支石墓がある。



墓としてのこの不思議さを何とたとえたらいいのだろう。
世界的に有名な石墓・廟所のフォルム、例えばエジプトやマヤのピラミッド、
沖縄の亀甲墓、イスラム教のモスクや神殿など、そのほとんどは、
地に足がついた安定した構造であるが、コインドルだけは不安定な構造である。
あの世への入口(結界)とも解釈でき、日本の鳥居にも形は似ているが、
その位置は入口ではなく祭事、宗教の中心にある。

 その韓国から黒潮の1支流、対馬海流に乗り宮古八重山西方を通り、南に3,000km、
パラオ諸島のカヤンゲル環礁にも同じようなフォルムの石の遺跡があった。
この島は天水が滲みこんだ井戸があるだけで、長年水不足で悩まされたが、
近年JICAが給水施設を整備し島民に喜ばれている。
観光客もまばらな100人程度の島であるが、
海の透明度と白砂の美しさは、手つかずで他に類を見ない。



ここにも石の文化が根付いており、有名な人面石(ストーンフェイス)や
沖縄の拝所の石のようなものもあった。
島の少年が神聖な石に案内してくれたが、その石には触れるなととがめられた。
その中に規模は小さいが、ストーンモノリスと呼ばれる石畳の祭壇に
コインドルと同じ形の石の遺跡があった。



以前、鳥居の起源を調べたが、軍政時代の神社以外に、
南洋に結びつく手掛かりは見いだせなかった。

 八重山・宮古地方は、沖縄本島、台湾とは海流と海溝で隔てられている。
そして長い歴史の中で、異なる文化をはぐくんできた。
むしろ黒潮により、南洋から日本海に至る、南北に渡る
広大な文化圏を創ってきたとも考えられる。



日本で最も難解な宮古方言(ミャークフツ)であるが、
それに一番近い発音は朝鮮語だという話も、
まんざら嘘ではない気がしてくる。

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