変わる離島の生活環境

Katzu

2012年04月02日 14:35

 4月1日、うるま4島(平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島)の
小中学校7校が廃校となり、彩橋小中学校として統合された。
地元の反対も2年に及んだが、明治時代から続く歴史に幕を降ろした。



 かつて平安座島には干潮時のみ徒歩で渡っていたが、
70年代にガルフ社が海中道路を建設、1,997年には浜比嘉大橋が完成、
海中道路は1,999年に4車化された。
 うるま4島は離島でなくなった。観光客も増えリゾートホテルができ、
石油会社の就労やその地代、生活も豊かになり、Uターンによる人口も増えた。
今回の統廃合は、いわゆる離島苦、人口減少による離島の学童不足ではない。
本島との橋のアクセスにより、その後、都市構造が変化し、
教育システムが変わったことによる統廃合なのである。



 一方、島を訪れる観光客は日帰り客がほとんどである。
海中道路の交通は、日常生活関連以外は、石油基地関連、
日帰りレンタカーが圧倒的に多く、ホテルの宿泊客は減少した。
海の環境の変化も大きい。
海峡は長い年月、堤防で仕切られたために、南東側は下水の流入もあり
藍藻が発生し、干潮時は臭いがする。




 離島の輝きを失った島の伝統を受け継ぐのは難しい。
離島は、観光スポットより目につかない所に、むしろ魅力を感じる。
子供達はその島の輝きを知っているのだろうか。



 台風銀座に造られる宮古島の伊良部大橋は、
強度見直しの設計変更により、2年後に開通予定である。
島の人は『家に鍵をかけなければ安心できなくなる。』と嘆いていたが、
それ以上に、島の未来が一変することを、肝に据えるべきだろう。
地続きの下地空港が、普天間空港の移設先に挙げられたのは、
その理由の一つである。



 3月31日夕方に浜比嘉島の比嘉小学校に行くと、
引越しを終えた教諭が、学校に最後の鍵をかけたところだった。
島の中腹にあるこの小学校は、2段に整地された、
月桃の匂う、よく手入れされた小さな学校であった。
話をきくと、跡地利用は決まっていないようだ。
廃校は、集会所、ギャラリー、宿泊所などに利用される事例が多いが、
島内の高台はこの付近だけなので、避難場所には最適であろう。
三陸地方ならば選択の余地はない。
児童の想い出とともに、建物も残してもらいたいものだ。


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