日系社会の象徴であるサンパウロのリベルダージ駅に来るとなぜか安心する。世界最大の日系社会が地球の裏側に存在するのは、不可逆的な必然性によるものではない。単に移住先がその地だったという訳ではなく、ブラジルという新しい国の歴史や気候や文化が日本人を受け入れる素地があり、日本人も親近感を抱きつつ、新しい夢を抱かさせる何かがこの国にはある。
リベルダージには、東北や九州の各県人会事務所が点在している。
32年前のリベルダージ駅前
かつて、駅前の映画館隣に山形県人会があったが既になく、沖縄県人会事務所に行って新しい場所を聞き、日系社会の行事とサクラに関する情報を得ようとした。事務所は日本フェスの準備で忙しく詳しく聞けなかったが、専門の事務員が常駐し町内会と同じようなそのコミュニティの強さに驚いてしまった。
7月7日、リベルダージ駅前に赤い花が咲いていた。
沖縄の11月に咲くトックリキワタによく似た花だった。パイネイラはブラジル桜とも呼ばれ、トックリキワタと同種である。沖縄のトックリキワタはボリビア産を移入したものなので、少し種類がちがうのかもしれない。
沖縄ではトックリキワタの花が終わると1月末にヒカンザクラが咲く。
サンパウロの桜祭りは8月5日、開花までには1か月近くあった。ということは、ブラジルのヒカンザクラ前線は、南半球なので沖縄とは逆に北に移動するため、今は南で咲いているはず、と予想できた。
サンパウロから南西へ300km。70年代、南半球の計画都市として紹介されたクリチバ市は、用途別の高度制限や都市交通の歩車分離を実現した新しい都市として教科書にも載っていた。特にBRTシステムは先駆的で、観光客にもわかりやすい乗降場は現在もその利便性は高い。
しかし、郊外の住宅地が現れ、中心市街地の用途が混在し始め、商店街が疲弊し始める。30年の年月は交通の質を変えた。自転車が高速化し、それに対応するレーンが少ないことと、キックボードという新しい交通カルチャーが若者に生まれたことである。
一方、旧市街地と新市街地との間には多彩な機能の公園があり、すでに街の景観に溶け込んでいる。街の石畳みのプロムナードは、小洒落た桜並木になり、多くの人が足を止めていた。
花を繁々見ているとボランティアが近寄り、さらに美しい桜並木が郊外の公園にあることを教えてくれた。
植物園公園は、計画的な都市公園としては恐らく南米一の質であろう。多くの市民が訪れており、広い芝生広場と植物園を結ぶ桜並木は満開であった。
桜前線を予想した通り、この花は沖縄のヒカンザクラ、もしくはそれに近い種類である。南米へのサクラの移入は大正時代から始まった記録があるが、ソメイヨシノは根づかず、沖縄のカンヒザクラが広がったと言われている。
沖縄の緯度とほぼ同緯度のクリチバ市には、沖縄の1月の冬の開花から、半年かけ赤道を越え、南半球の冬の7月に到達したことになる。そして、ブラジル各地のサクラは、日系移民が郷愁に駆られ植えられたものであることに疑いの余地はない。
ブラジルの歌のキーワードはサウダージ(悲しみ)であるが、その意味するものは郷愁、思い出といった感傷の意味合いを持つ。30年以上の時が経ち街の景観に溶け込んだサクラと、日系社会の歴史を対比すると感慨深いものがある。
リベルダージ大阪橋
オリンピックの開幕式でブラジルの歴史が演出されたが、ブラジルの人種の多種多様性を代表する移民として、アラブ商人と日系移民が表現されていた。戦争と平和という意味もあるが、誇らしくも嬉しい気分になったが、地元の日系の方は複雑な想いがあることも知っている。
リオデジャネイロにヒカンザクラがあるとすれば、今頃はちょうど満開になっている頃だろう。
リベルダージ日本庭園