北国らしい風景や生活の魅力に触れるには、観光客も少ない静かな冬の季節がいい。
雪が降ると、人々の生業と催事の営みが一体となって見えてくる。
元旦参りから鏡開き、初市が開催される頃に雪国の風物詩が展開される。
山形初市の大通りでは、縁起物の初飴、だんご木をはじめ、臼、俎板などの木工品、
わら、つる細工、包丁ハサミなどの生活用品の初売りが起源であるが、川魚の塩焼き、
ドンドン焼きなどの屋台が連なり、雪国らしさが一つ一つに凝縮され賑わっていた。
雪国の通りを歩くと、その街のまとまりが手に取るようにわかる。
かろうじて車1台分わだちだけが残る通り ⇒ 車道だけが除雪されている通り ⇒
歩行者動線が確保されている通り ⇒ 軒先から道路に至るまで訪問客を迎える通り。
消雪道路を除き、この順で街のコミュニティの強さが見えてくる。
田舎に行くほど街の慣習も残り、除雪・除草などは生活に直結するため、
各集落でまとまって環境整備に取り組む様子がよく見られる。
一方、旧市内では10戸に1戸は空き家で、家を空ける機会が多いと、
周辺に迷惑をかけてしまい悩みの種となる。
積雪の多い地域では、雪下ろしは大変危険を伴う作業で、周囲への声掛けが必要となる。
排雪作業も同様で、排雪溝の転落事故もあり、隣同士が同時に作業を行うことが望ましい。
このような除雪の習慣を日常的に経験した人は、雪かきも実に能率的にこなす。
雪国のコミュニティは、年中行事とともに移ろい引き継がれていく。
歴史ある温泉街は冬にこそ、その魅力が引き出される。
今年は蔵王山、吾妻山の噴火予報がでてスキー客が減った。
特に、吾妻山は年末に火口付近が入山規制となり噴火警戒レベルが2に上げられ、
火口から12km離れているにもかかわらず、天元台スキー場に向かう車はなかった。
その山裾に当たる白布温泉は、正和元年(1312年)開湯の歴史を持つ上杉藩ゆかりの
温泉であるが、現在は閑散として、雪かきと消雪の水音だけが静かに響いていた。
米沢は例年の2倍の積雪量があり、コンビニの入口さえ見えにくい有様であり、
個人、地方自治体ともに、雪片づけに要する負担は計り知れない。
近年の地球環境の変化、東日本大震災の余波ともいえる自然災害が雪国を襲っている。
米沢市松が岬公園の上杉鷹山公の銅像横に、新しい草木塔が雪に埋もれていた。
草木塔とは草木の命を慈しみ、自然への畏敬、収穫の祈りを石に込めたもので
世界的に珍しく、鷹山公の時代に米沢を中心に多く建立されたものである。
新しい物を拒みへそ曲がりのイメージのある米沢の人であるが、
反面、伝統を守り頑としてやさしい人々でもある。
雪国のコミュニティは、日本古来の自然崇拝から生まれた草木搭の心そのものである。
温泉街の再生は、魅力あるコンセプトとストーリーを日常的につなげることにあり、
それは外からと若い視点から見出される。
湯田川温泉は、和同5年(712年)開湯の1300年の歴史を持つ
庄内地方の奥座敷にあたる庄内藩ゆかりの由緒ある温泉である。
周辺には集客できる有名な観光施設はなく、むしろレトロな雰囲気が
魅力であるが、こんな何もない温泉にこそ魅力が一杯詰まっている。
温泉宿の若旦那に話を聞くと、梅林と孟宗竹が温泉のイメージとして
定着し少し落ち着いた感があるが、若者を中心とする活動の継続や
後継者問題にも苦慮している様子であった。
その糸口は、高齢者中心の日本よりも、海を越えた所にある。
冬ならではの魅力は、生き抜くための生活の術だけではなく、
独特の自然風景、伝統芸能、そして食文化を育んできた。
新鮮な海と山の食材と伝統の保存料理の組み合わせが、
自信を持って世界のどこにもない魅力的な料理を生んでいると思うのである。
雪国のコミュニティは、街起こしをつなげ、街を活性化させる源でもある。