やんばるの森に魅かれ何度も通った日から数年が過ぎてしまったが、あの森はどう変わったのだろう。
砂岩質の崩壊土の上に育つのはイタジイ主体の亜熱帯照葉樹林で、ブロッコリーが重なり合ったような広大な樹林帯の景観は独自のものがある。分水嶺を伝い登る高温多湿の空気は、雨となり小河川からマングローブ林を経て海へと流れる。
そこに住まう生物たちは、アマゾンで見た熱帯雨林の密集した猥雑さや先鋭的な躍動感はないものの、独自に生き残った生命は貴重で、ヤンバルクイナやノグチゲラなど世界的にも珍しい固有種が多く生息する。
今年9月に指定されたやんばる国立公園は、おおむね分水嶺から西の区域13,622haで、東側に隣接する米軍の北部訓練場(キャンプ・ゴンサルベス)は含まれていない。
生物の視点から
鉱物資源の乏しい森は木炭と建築資材の産業主体で、大規模開発のために人の手が入る余地は少なかった。今回指定された国定公園区域は、皮肉にも70年代に縦横に配置された林道開発により、生物の移動が制限される地域に重なっている。
唯一の外来肉食獣であるマングースの捕獲は効果を上げ、最近では山道の捕獲わなに掛かった姿を見たことがない。ヤンバルクイナは生態数が増えており、生息域は山間の林道よりも県道や安田などの集落近くで見かける機会が増えた。幹線林道は風の通り道となり、その影響で枯れた大木にノグチゲラが営巣する姿をよく目にしたが、最近は、むしろ標高の低い高江などの集落近くでも確認されるようになった。
与那覇岳を中心とした国定公園の核心部には、カラスのように幼鳥を捕食する天敵が増え、花や果実に集まる虫の多い人里近い農地や、寸断された沢の県道横断付近に移動していくのは、生物の本能であろう。
メッシュ調査結果を見ても結果は明らかで、調査対象となっていない高江付近の返還されない米軍北部訓練場付近は、希少生物が増えていることは容易に推測できる。やんばるの生物たちは、森の東側が訓練区域となり開発が西海岸に偏ったことにより、生態の環境が変化したために種族の移動と盛衰を繰り返している。
外来客の視点から
やんばるの分水嶺を南北に縦断する大国林道は、総延長35.5km、幅員5mの道路構造令上では1車線道路である。現在ここに来るのは、マングースバスターズと湧水採取の人くらいで、対向時は雑草をかすり、車底をするくらいの凹凸や落葉、泥で滑る区間もある。観光客は光陰のヒカゲヒゴのトンネルや延々と繰り返される亜熱帯の景観に日本であることを忘れてしまう。
西海岸の奥間から大国林道に上り、2kmほど林道を歩くと伊湯岳山頂に至る。
この季節は秋の紅葉もなく、黄色いツワブキが咲いている程度である。
鳥の鳴き声もカラスとキジバト、ヒヨドリくらいで森全体の生命感に乏しい。
防衛庁の境界杭の先は林道が続いているが、その先は米軍北部訓練場区域となり高江のやんばるの森の全容が見渡せる。下からヘリの音が聞こえ、戦争と自然という相いれない光景を目の当たりにする。
現在、やんばるの森を散策できるコースは少ない。
国定公園の東の最奥部にあたる与那覇岳登山路は、セラピーロードとして整備されてから数年がたち、レンタカー利用の観光客も増えた。沖縄リピーター達は、那覇で買い物 ⇒ 世界遺産 ⇒ ちゅら海 ⇒ やんばるの森、の順で訪れるようになる。
湿った森はノグチゲラやアカヒゲ、キノボリトカゲ、イモリ類、陸貝類も見かけ静かで、何度も来たのは不思議に落ち着ける森であるからである。10年ほど前に初めて入ったこの森の印象は、世界のどこにもない国定公園はおろか、いずれ世界遺産になってもおかしくない亜熱帯の森だと感じた。
大国林道を数キロ北上すると、フェンチヂ岳の入口に至る。数分登ると山頂からは伊部岳までの北部訓練場の返還区域が見渡せる。幾重にも重なる山並みは海まで続く広大な空間に驚かされるが、開発される価値のなかった地域であったことも周知の事実である。この森にはやんばる学びの森があり、今後返還されるやんばるの森の魅力を発信する核となる施設になるであろう。
住民の視点から
県道70号を北上し、ヘリパッド基地が建設中の高江集落に入ると、急に騒々しくなる。ゲート手前で検問があり、にらみ合う反対派住民の間の道路上を輸送ヘリが轟音とともに通り過ぎて行った。数十台の機動隊車両が車線をふさぎ、その先には反対住民の自動車の列が延々と続き入り込む余裕すらなく通り過ぎてしまった。
海外でもこんな厳戒態勢に遭遇したことはない。
機動隊員の薄ら笑いが気になった。
ここは日本ではない。そう、思い出した。
中国雲南省の国境警備の人民武装警察の笑いと同じだ。
基地の縮小は、どんないきさつと利権関係があろうとも反対する理由はない。同時にそのシワ寄せがすべてこの高江に集中することはどんな理由があろうとも、何者も済まないと同情せずにはいられない。
中国が攻めてくるから米海兵隊が必要というロジックも、反対しているのは住民以外というネタを鵜呑みにするナイチャ―はきらいだ。騒動を大きくし、拡声器で騒々しいだけの、島外からやって来て帰る右と左の人間もきらいだ。というのが市民の本音かもしれない。
来島した当初、国を守りに来たまじめな米兵達に気の毒な気持ちもあり、米軍に対する嫌悪感を露わにする老人に対し時代錯誤だと感じたこともある。
5年間以上沖縄に住んでみて、歴史を顧みて知ったかぶりをしても、自分が島の立場に立って代弁できない大きな壁があることに気が付いた。
それは、戦争が終わって占領軍がそのまま居続け、法外な立場を強いられ暮らしたという経験を共有したことがないという決定的な違いだ。
ナイチャ―の差別と偏見、うちなーの被害者意識と左傾化と、お互い勘違いしてしまう壁を取り除くことは容易ではなく、高度成長時代を知らない次の世代に委ねるべきだろう。
未明、オスプレイが落ちた。
だめなものはだめで、いらないものはいらない。