2011年04月23日

Pray For Fukushima 

日本的な原発事故
 4月11日、政府は福島第1原発20km圏内の警戒区域の外側の5市町村を
計画的避難区域に設定し、5月末をめどに住民の避難を完了すると発表した。
また、30km圏内を緊急時避難準備区域に指定し同様にモニタリングを強化
する方針を示した。     計画的避難区域地図 
 
 事故処理の対応があったとは言え、政府の対応は遅すぎる。
アメリカは事故直後に原発に冷却水を運び、1週間後には80km内の自国民の
避難勧告を出した。
仏紙ルモンドは、安全重視より東電のビジネス優先を批判した。

 今となっては、「称賛から一変、原発事故批判、海外メディア」ではなく、
海外の視点の方が正しかったと思う。3か月が3年、30kmが60kmになった時、
日本人の礼節の矛先は新しい指導者達に向かうのだろうか。

 原発事故にかんがみ、まちづくりに関して何かできるか考えてみた。
岩手、宮城とは全く違うアプローチが必要である。現地調査ができない、範囲が
確定できない、計画のタイムテーブルが組めない。
業務としてはこれで終了である。

 しかし、その糸口はどこかにあるはずである。被災者は生活を求めている。
政策のビジョンと生活再建の間に必要な復興計画を、再考するきっかけを
つくるためには、避難勧告の出されたこの日がその最終日である。


 知人の紹介で福島第1原発方面に向かう。
猪苗代経由で郡山から田村市に行く。
海岸部に向かうにつれ、三陸ほど地震の影響は強く感じられない。
むしろ、放射線影響地域に近づくという心理状態が、暗い気分にさせる。
風評被害とはこの心理状態から始まるものなのかと思う。
株価を下げる風説の流布とは違う。

 福島はフルーツ王国であるが、これからの収穫の時期を迎え、大変な試練を迎える。
東北全体も同じであろう。
 観光地はさらに厳しい。これは、風評被害ではない。日本人特有の遠慮する気質と、
目立つ者を蔑視排斥する陰の気質が入り交じったものだ。
野口記念館も開店休業状態で、まだ寒い磐梯山があった。

Pray For Fukushima 

 
 猪苗代湖は、淡水湖では日本で4番目に大きい、郡山の都市生活を守る最後の砦である。
葦枯れした湖岸は日本の原風景である。

Pray For Fukushima 


 隣県であるにも関わらず、いつも素通りしてしまい、特に阿武隈山地は知らなかった。
そこには、最も美しい日本の春の風景があった。
たおやかな丘にサクラ、レンギョウ、芝桜、ナノハナの赤黄色が展開する。
満開の三春の滝桜だけは、観光客も多かった。
「もう見れないからね」とつぶやいたおばあさんは避難者だったのだろうか。

こんな刹那的に美しいサクラは見たことがなかった。

Pray For Fukushima 

 
この風景がだんだん寂しくなる。人が、特に彩色の子供がいない。
元気のない地方の商店街が多いが、
客通りの絶えた商店街ほど寂しい風景はない。

Pray For Fukushima 

 
緊急時避難準備区域に接する田村市立山根小学校は阿武隈山系には珍しい
急峻な鎌倉岳のふもとにあった。
ちなみに、DASH村は計画的避難区域のこの山の北側の浪江町に位置する。

Pray For Fukushima 

昨年、この校舎に最後の校歌が流れた。自分の学校がなくなり、
今度は立ち入れなくなるかもしれない、子供の気持ちを思うと
居た堪れなくなった。

Pray For Fukushima 

 
 われわれ計画屋は、高度成長時代から安く、早く、大量に街を供給してきた。
バブル時代の高価で、質の高い、個性的な街づくりを行った時期を経て、
安心、安全、健康な街づくりを目指していた。
そして、この安心、安全、健康が失われた今、残されたのは希望でしかない。
人により育まれた動物、植物もまちも見捨てられ、帰った時に残されるのは
故郷の山野風景だけかもしれない。



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Posted by Katzu at 13:33│Comments(0)原発
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