2011年07月03日

震災復興の実施

震災復興の視点を調査、計画から、実施に変えてみる。

はじめ、東松島市に行く。
前回計画の説明に訪れた時は、担当者が住民に示す計画の件で悩まれていた時期だった。
あとで、その次の日に、宮城県から計画案の説明があったことを新聞で知った。
現在、市の計画案はまとめられたが、運用と合意をまとめていく段階にあるようだ。
企画する側の職員も少なく、現場対応がメインで動いていた。
東松島市は市街地部の整備は進んでいる方で、
沿道の植樹帯の整備、草木の植込みが行われていた。

どの地区も、復旧の証しは電気で、建柱工事が優先している。
瓦礫、特に取壊しの必要な、鋼製、コンクリート構造物の撤去は奥に行くほど進捗は遅い。

石巻市役所に行く。
約束の知人には会えなかったが、人口16万のこの都市機能を影で支えているのは、
県内外から来ている派遣職員たちである。
2か月前とは比べ物に成らない位活気のある職場だった。
災害関連の事務手続きは多く、掲示板で内容を確認するだけでも大変である。

震災復興の実施

道路の整備状況は、国道45号で2か所、国道398号で4か所が
今だに通行止めとなっている。
このうち6か所が落橋で、石巻市から陸前高田市に集中している。

う回路があるものの、瓦礫の撤去が進まない理由の一つである。

上部工が流出した新北上大橋は、7割の児童先生が逃げ遅れた
大川小学校のそばにある。
この地点は河口から3km離れているが、川の狭窄部にあたり海の変化を
捕えづらく、防波堤のない河口から、猛スピードで遡上波が直撃した地点である。

震災復興の実施

ここに立つと誰も責められないことがよく解かる。

 梅雨時に入り、心配なのは堤防の崩壊箇所が多いことである。
災害の有無にかかわらず、毎年発注される国交省の災害復旧事業(補助)は、
これまで23兆円もの国費を掛けてきた。
しかし今回の被災は、これまでの災害査定を遥かに超えるものであり、
現在、新北上川流域の堤防の決壊箇所は仮の補修だけで、
本復旧できる状況にはない。

実施設計を進めるにも、測量の基準点がない。
地盤が安定しない。災害危険がついて回る。
設計をしても重機が足りない状況であることは容易に推察できる。が

守るべき堤内宅地がすでに消失している為だとすれば、あまりに寂しい。

夕方、石巻市雄勝町にたどりつく。
海岸線は赤い岩肌が、くっきりと浮かびあがり、松も枯れ、
津波ラインが確認できるようになった。

震災復興の実施

港の岸壁は地盤沈下により水没しており、
満潮時に海面上昇の影響を受ける南洋の島を思い出す。

震災復興の実施

災害ボランティアが去った街は、街あかりもなく、人っ子一人見かけない。
まるで3.11直後に訪れた荒浜のようだ。

3,4月は復興計画案のまとめに駆け巡ってみたが、その1か月後、
現地の実施状況を見ると、復旧の地域格差があまりに大きく、
一方では復旧の道筋を建てる初動段階にあることに気がつく。

そして、心の整理も、撤去もままならない被災地の多くは、まだ時が止まっている。

震災復興の実施



タグ :震災復興

同じカテゴリー(大震災)の記事
3.11の花蓮
3.11の花蓮(2018-04-21 16:15)

震災後の街のすがた
震災後の街のすがた(2015-12-27 20:12)

地球のひずみ
地球のひずみ(2015-08-21 21:17)

福島に想う
福島に想う(2015-03-26 20:30)


Posted by Katzu at 01:54│Comments(0)大震災
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。