2011年07月14日
震災復興に受け継がれるもの
災害ボランティアの後、波路上(はじかみ)の被災地に行く。

ここは気仙沼湾の外洋に面し、津波の直撃を受け、
多くの人が犠牲となった地区である。
地理的には気仙沼の自然の防波堤になっている。
半島側は、高校野球で有名な向洋高校の建物を残し、
津波が通り過ぎて行った。
瓦礫の撤去は進んでいない。

波路上の津波の歴史は繰り返され、徐々に高台に集落が移動したが、
時とともにその記憶も薄れ、海沿いの集落が形成された結果であった。
向洋高校の監督は、県予選に負けた選手達に、
“君たちは大震災に勝った”と慰めた。
街の復興は既に、若い世代に受け継がれたと感じた瞬間であった。

三陸の伝統文化を伝える波伝谷(はでんや)は、戸倉神社を残しすべて、津波に流された。
神社が丘に打上げられ、神社を信奉したという伝説と同じ歴史が繰り返された。
恐らくこの時も、多くの遺産が失われたと思われるが、その後池から
多くの石板が見つかったという。

津波の襲来を何度も受けながら、
伝えられたのは集落の祭事芸能と口承文化であった。
そして最後に残ったのは波伝谷という言霊であった。
この言霊は、これから実施される新しい街づくりの核になるべきであろう。
“地震があったら津浪の用心”の記念碑がどうなったか気になってたが、
探してみると、近くの波打ち際に打ち上げられていた。
さらに古い文化財もあり、瓦礫の撤去とともに確認が必要である。

震災復興が実施される鍵となるのは、自然災害を自然に受けとめる
日本人の性のようなもの、を中心に見据えた計画であることだろう。

ここは気仙沼湾の外洋に面し、津波の直撃を受け、
多くの人が犠牲となった地区である。
地理的には気仙沼の自然の防波堤になっている。
半島側は、高校野球で有名な向洋高校の建物を残し、
津波が通り過ぎて行った。
瓦礫の撤去は進んでいない。

波路上の津波の歴史は繰り返され、徐々に高台に集落が移動したが、
時とともにその記憶も薄れ、海沿いの集落が形成された結果であった。
向洋高校の監督は、県予選に負けた選手達に、
“君たちは大震災に勝った”と慰めた。
街の復興は既に、若い世代に受け継がれたと感じた瞬間であった。

三陸の伝統文化を伝える波伝谷(はでんや)は、戸倉神社を残しすべて、津波に流された。
神社が丘に打上げられ、神社を信奉したという伝説と同じ歴史が繰り返された。
恐らくこの時も、多くの遺産が失われたと思われるが、その後池から
多くの石板が見つかったという。

津波の襲来を何度も受けながら、
伝えられたのは集落の祭事芸能と口承文化であった。
そして最後に残ったのは波伝谷という言霊であった。
この言霊は、これから実施される新しい街づくりの核になるべきであろう。
“地震があったら津浪の用心”の記念碑がどうなったか気になってたが、
探してみると、近くの波打ち際に打ち上げられていた。
さらに古い文化財もあり、瓦礫の撤去とともに確認が必要である。

震災復興が実施される鍵となるのは、自然災害を自然に受けとめる
日本人の性のようなもの、を中心に見据えた計画であることだろう。
Posted by Katzu at 04:01│Comments(0)
│大震災
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。