2011年08月24日
自然のグラデーション
建築家、造園家、絵描き、写真家、コンピューターグラフィックデザイナー、
工業デザイナーなど、 あらゆる設計・芸術にたずさわる者にとって
悩みの種が色のグラデーションである。
毎日、海を見ていても、朝夕晩、干潮満潮、晴雨、風、雲量によって
海の色は変化する。

やっとパソコンが会社に入った頃、担当者が
どんな色でも作成可能ですと言って作った自然石の色が、
どうしても現物に合わせることができなかった。
色は明度、彩度、色相から成立つ。
それが1つ違うと人間は違う色と感じる。
最近は人間が認知可能な一千万色の中間色を
グラフィックコントローラーにより作成できるようになったが、
自然のグラデーションを表現することは不可能である。
なぜなら、色は時の変化で動き続けるからである。
3000万画素数のカメラで1断面を撮っても、
水のクリアな青を表現するのは難しい。
実際見た色を口で説明するのは、本末転倒であるが、
写真よりも記憶の色の方が、一緒に見た人間同士
同じ感覚を持つ場合もある。
日本では色が、赤橙黄緑青藍紫の
7つに分かれるが、青系に偏っているのは、
海のグラデーションを感じていたからかもしれない。
山も同様で、もともと緑という色の概念はなく青の一種であった。
特に春の山が美しいのは、新芽の緑のグラデーションである。
この自然の営みを表現できるのは、それを知った者でなければ難しい。

工業デザイナーなど、 あらゆる設計・芸術にたずさわる者にとって
悩みの種が色のグラデーションである。
毎日、海を見ていても、朝夕晩、干潮満潮、晴雨、風、雲量によって
海の色は変化する。

やっとパソコンが会社に入った頃、担当者が
どんな色でも作成可能ですと言って作った自然石の色が、
どうしても現物に合わせることができなかった。
色は明度、彩度、色相から成立つ。
それが1つ違うと人間は違う色と感じる。
最近は人間が認知可能な一千万色の中間色を
グラフィックコントローラーにより作成できるようになったが、
自然のグラデーションを表現することは不可能である。
なぜなら、色は時の変化で動き続けるからである。
3000万画素数のカメラで1断面を撮っても、
水のクリアな青を表現するのは難しい。
実際見た色を口で説明するのは、本末転倒であるが、
写真よりも記憶の色の方が、一緒に見た人間同士
同じ感覚を持つ場合もある。
日本では色が、赤橙黄緑青藍紫の
7つに分かれるが、青系に偏っているのは、
海のグラデーションを感じていたからかもしれない。
山も同様で、もともと緑という色の概念はなく青の一種であった。
特に春の山が美しいのは、新芽の緑のグラデーションである。
この自然の営みを表現できるのは、それを知った者でなければ難しい。

Posted by Katzu at 11:05│Comments(0)
│環境デザイン
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