2011年09月15日
音楽の力...定禅寺JAZZとMUSE
日曜日、仙台で大学生に交じってTOEICの試験を受けた。
真剣な面持ちの学生に、英検を受けた自分の学生時代を重ね合わせた。
帰り、晩翠通りで渋滞に巻き込まれる。
デモ隊が1車線を占拠していた。
反原発のシュプレヒコールが打楽器とともに繰り返され、一緒に並走した。
一瞬70年代のドラマを、萱の外から覗き込んでいる気持ちになった。
曲がることもできず進むと、今度はジャズのリズムが聞こえてきた。
定禅寺ストリートJAZZフェスティバルであった。
前振り付きの千載一隅となった。

何ヶ所にも分かれたステージで、ジャズのみならず、ブルース、
ロック、カントリー、クラシックと何でもありで、
音楽好きにはたまらない環境であった。

本格的かつマニアックな音楽が多く、それを知る音楽ファンなら、
モンク風だとか、憂歌団風だとか、オールマン風だとか、
理解できて狂喜乱舞できたが、それを知らずとも、
足を止め楽しんでいる一般客が多かった。
2日間で746組、約4900人、79万人!ウッドストックの約2倍?
の観客人出だったという。

大震災のこともあり、全国から集まったミュージシャン達は
気持ちが入って、どこも感動的なステージばかりであった。
こんな文化的なイベントをやれる仙台市は、進んだ都会だといつも思う。
街からの視点に立てば、早期復興は叶うと感じた。
1979年, スリーマイル島原発事故をうけ、ジャクソンブラウンら
ウェストコーストのミュージシャンによる「ノー・ニュークス(反原発)」が行われた。
60年代よりアメリカでは、プロテストソングに代表される
社会変革の精神が若者の心に根付いていた。
でも、歌によって社会は変わらなかった。
我々は、反捕鯨のこともあり対岸のことと受け止め、
儲けや売名のためと影口をたたく者もいた。

しかし、その行為に感動し、活動する人間が育ったことが
彼らの成果であり、社会の財産になった。
改めて歌の数々を聴き返してみると、色あせないどころか、
この間、自分は何をやってきたんだろうと胸を突かれる。
32年後、MUSE Benefit For Japanがサンフランシスコで先月開催された。
彼らの主張が正しかったことは、今の現状をみれば明らかである。
欧米人と接する機会が増えた今、
彼らの精神は個人主義である一方、デモクラシー、公共の福祉という
教育環境に基づいたものであることが、ようやく理解できるようになった。

イデオロギーという言葉が途絶えて久しいが、
大震災後、再びそれが人々をまとめ動かす環境が整いつつある。
それはかつての五感を刺激する音楽なのか、
内に入るり込む宗教なのか、
知的好奇心を即時刺激するTwitterなのか、
グローバルに増やすFacebookなのか、
今はわからない。
真剣な面持ちの学生に、英検を受けた自分の学生時代を重ね合わせた。
帰り、晩翠通りで渋滞に巻き込まれる。
デモ隊が1車線を占拠していた。
反原発のシュプレヒコールが打楽器とともに繰り返され、一緒に並走した。
一瞬70年代のドラマを、萱の外から覗き込んでいる気持ちになった。
曲がることもできず進むと、今度はジャズのリズムが聞こえてきた。
定禅寺ストリートJAZZフェスティバルであった。
前振り付きの千載一隅となった。

何ヶ所にも分かれたステージで、ジャズのみならず、ブルース、
ロック、カントリー、クラシックと何でもありで、
音楽好きにはたまらない環境であった。
本格的かつマニアックな音楽が多く、それを知る音楽ファンなら、
モンク風だとか、憂歌団風だとか、オールマン風だとか、
理解できて狂喜乱舞できたが、それを知らずとも、
足を止め楽しんでいる一般客が多かった。
2日間で746組、約4900人、79万人!ウッドストックの約2倍?
の観客人出だったという。
大震災のこともあり、全国から集まったミュージシャン達は
気持ちが入って、どこも感動的なステージばかりであった。
こんな文化的なイベントをやれる仙台市は、進んだ都会だといつも思う。
街からの視点に立てば、早期復興は叶うと感じた。
1979年, スリーマイル島原発事故をうけ、ジャクソンブラウンら
ウェストコーストのミュージシャンによる「ノー・ニュークス(反原発)」が行われた。
60年代よりアメリカでは、プロテストソングに代表される
社会変革の精神が若者の心に根付いていた。
でも、歌によって社会は変わらなかった。
我々は、反捕鯨のこともあり対岸のことと受け止め、
儲けや売名のためと影口をたたく者もいた。

しかし、その行為に感動し、活動する人間が育ったことが
彼らの成果であり、社会の財産になった。
改めて歌の数々を聴き返してみると、色あせないどころか、
この間、自分は何をやってきたんだろうと胸を突かれる。
32年後、MUSE Benefit For Japanがサンフランシスコで先月開催された。
彼らの主張が正しかったことは、今の現状をみれば明らかである。
欧米人と接する機会が増えた今、
彼らの精神は個人主義である一方、デモクラシー、公共の福祉という
教育環境に基づいたものであることが、ようやく理解できるようになった。

イデオロギーという言葉が途絶えて久しいが、
大震災後、再びそれが人々をまとめ動かす環境が整いつつある。
それはかつての五感を刺激する音楽なのか、
内に入るり込む宗教なのか、
知的好奇心を即時刺激するTwitterなのか、
グローバルに増やすFacebookなのか、
今はわからない。
Posted by Katzu at 18:05│Comments(0)
│街の環境
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