2016年10月27日
外国人観光客が変える街
京都市を訪れる観光客数は年間5864万人(平成27年)、20年で1.5倍になった。このうち宿泊客の20%を外国人が占め、紛れもない世界の観光都市として成長している。一方、これから日本の都市が抱えるであろうグローバル化の課題が、観光先進都市・京都から見えてくる。
海外で日本の観光といえば富士山と京都が圧倒的で、来たいと言う外国の知人にうまく説明も案内もできないことをずっと負い目に感じていた。

予定の京都国立博物館が改装中だったため、改めて東山を三十三間堂あたりから清水寺、祇園にかけて歩いてみた。その外国人観光客の多さに驚くというより、京都という仮面をかぶった海外の観光地という印象を持った。もともと老舗の京菓子、西陣織、清水焼、ギャラリーなどが多いが、どの界隈も、和洋菓子、和風土産、着物レンタルの店などが軒を埋めている。

五重の塔と町屋を借景にしていることを除けば、民族衣装の着付けと記念写真、食べ歩く観光客の所作は、海外の観光地となんら変わらない。少なくても、慣れない着物で坂道を苦労して歩くアジア人はいても、坂道を健康目的で歩く格好をした人は見かけない。
眺望景観保全と歴史風致関連のあらゆる都市計画規制をかけた街並み保全は成果を上げる一方、住む人のライフスタイルや利用者の変化に対応する規制は追い付かない時代になった。

祇園の花見小路界隈は、外国人観光客であふれかえっていた。この中をタクシーがクラクションを何度も鳴らしながら通り過ぎる。他の日本の都市にはない東南アジアの喧騒を思い出した。海外の観光地同様に、彼らは車道を石畳のプロムナードと勘違いし道の真ん中を歩く。京都市内は交通渋滞が激しく一方通行も多く、近道に対面通行の花見小路を利用するため周囲の枝道は混雑する。これでは石畳も電柱地中化の意味もない。さらに物理的デバイスを置くか、規制の厳しい歩車共存道路にすべきなのだろう。
全国どこでも柳と小川の風景の組み合わせが日本の飲屋街のイメージと重なるのは、黄桜のCMのせいでも偶然でもない。戦国時代の都市は川の交通が商業を支えたこと、城外の堀に接する川に面し居住地が広がったためである。内裏から離れ平安京の外縁の鴨川に並行する高瀬川は三面張となった今もその面影を残しているが、刑場のあった三条河原から七条に下ると隠れ家的な居酒屋が集中している。

外国人観光客もちらほら見えるが、彼らの店の選択は国内観光客と明らかに異なる。外国人オーナーも増え、独自の和風感覚の店がネットでは人気を博している。トリップアドバイザーやロンリープラネットのサイトを見るとその特徴が見えてくる。アジア系は爆買い爆食い志向は減りつつ文化体験型へ、欧米系は本物志向から、健康志向、エンターテインメント志向へと店のグローバル化が進んでいる。

外国人観光客に一番人気の伏見稲荷神社は、夕日が落ちても客足は絶えない。キツネが崇められていることも珍しいらしく、稲荷様のまわりには観光客が集まっていた。千本鳥居は一方通行で、確かにどこにもないミステリアスな雰囲気に満ちている。
実はこの神社のことは全く知らなかった。お稲荷様は庶民的なイメージがあるものの、同じ商売繁盛の神様と言えば大阪のえべっさんの方が有名で、京都に生まれ育った従妹でさえ最近行った記憶がないという。
このシュールなオリエンタルデザインを海外の人が教えてくれたわけではあるが、彼らの多くはお稲荷様の写真を撮ることはあっても、特に日本神道を理解しようと努めている訳でもない。彼らが集まるのは24時間入場可能で、拝観料の高いお寺と違い階段で飲食しながら無料で休める空間があるからである。テーマパーク化した千本鳥居は、商売繁盛のお稲荷様らしく、もう通行料を徴収してもいい。

町家の宿泊はバックパッカー向けドミトリーから、ネオ和風の隠れ家別荘タイプまで価格差は10倍以上ある。そのいずれも海外からネット予約ができ英語対応可能であり、レビューを見る限り平均的に評価は高い。汚い、遠い、予約違いが評価を下げる主原因なのだから日本の宿のサービスとしては当然の結果かもしれない。
七条の和風旅館はパンフレットのイメージとは異なり、案内された屋上の部屋は南洋的開放感に溢れており、そのアンバランスさに思わず苦笑いしてしまった。

観光地の外国人旅行者の多さに辟易し、七条の町屋を歩いていくと突然道が迂回する異様な耳塚が現れた。朝鮮出兵の戦功の証しとして削いだ耳と鼻を埋めた塚であるが、今でも大切に供養されている。

散歩の道すがら歴史の教科書にでてくる名所がどこにでも登場するのが京都の凄いところだが、この豊国神社界隈は閑散としてなぜか落ち着けた。侵略者である豊臣秀吉を弔った神社には中国・韓国系の旅行者はこない。歴史を振り返り恨みを越え英霊を供養する日本人には異質に思えるが、ブラックツーリズムが浸透していないせいなのかもしれない。

東本願寺別邸の渉成園は、世界遺産、国宝ばかりの京都にあって観光客の注目度は少ない。外国人旅行者により外壁をスプレーで汚され有名になったが、都市の美観を表すバロメーターでもある落書き対策は、治安監視体制の強化と歴史的威厳の維持と書きにくさの演出にある。

園内には海外のデザイン系の学生がいたが、日本庭園と周囲のビル群のアンバランスさは、最も京都らしい都市庭園と言えるかもしれない。

京都の街づくりは古い街の再生、とりわけ町家の利用が気になっていたが、ネットで見るとオシャレで観光客受けするものが増え、むしろインバウンドが終わった後はどうなるのか気がかりになるほどである。京町屋の特筆すべき事項は、住民自ら古い町並みに対応した玄関なり、意匠デザインに工夫を凝らしている点である。犬矢来はもともと家壁を犬の小便から守るための外柵であるが、同じデザインのものを屋外工作物のカバーや隣地との外柵にも利用していた。

京都を一日歩いて初めて知ったことも多く、5年間関西に住んでいながら、足元の街をよく見てなかった自分に反省しきりだが、その頃はバブル期の数字を追いかけ追われる日々で、住んだことのない地域の計画をすることの限界を感じた時期でもあった。
亡くなった京都の叔母は、生け花や茶を教え、京文化を海外にも紹介された方であった。
京の街は外国からの観光客が増え、街の様子もお金のシステムも変わり、経済面だけでグローバル化が進んだように勘違いしてしまうが、現実的には多くの文化や芸能を引き継ぐ人と、そこに生活する住民が京の街を支えている。
Posted by Katzu at 19:06│Comments(0)
│街の環境
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。