2011年12月23日
冬の被災地
被災地が気になり、降雪の山形を早朝出発する。
震災2週間後、自宅から一番近い太平洋の仙台市荒浜と名取市閖上に、
国道4号からマウンテンバイクで海岸線まで行った。
あれから9カ月、これで4度目である。
先月、名取市では街づくりの意識調査の結果や、
計画イメージ案が示され、話合いが行われた。
震災復興区画整理事業という具体的な事業名も示され、
勉強会も開かれた。
背後に潤沢な市街地を控えることから、事業化の道筋は速い方である。
地元の人の話を聞くと、国の対応の遅れで、瓦礫処理の効率が悪かったことや、
補助のばらつきがある等、まだ、復旧半ばで話の内容は以前と変わらない。
計画については、閖上地区は現位置での再生案の方向で動いている。
土地利用計画、防災計画、資金計画などの課題を列挙したらきりがないが、
減歩や事業負担の基本的考えを示し、
タイミング良く1つの方向に向かってもらいたいものだ。
その街づくりのスタートラインにたどりつくまで、最低1年はかかる。
だから、震災直後に、基本方針を決めるソフト計画と、
事業計画を想定したハード計画を、同時に進めなければなかったはずだ。
震災直後、ビジネスの為でなく、冷徹にハードプランを作ることに、
理解を示す人はほとんどいなかった。
被災地の現場は、昨夜降った雪がところどころ残り、
大型車の往来が続いている。きれいな砕石盛土が幾つも山となり、
以前示したケズタウンのような景観である。
これは工事の流用土と工事中の緊急避難のためであるが、
未来志向の街づくりがスタートしそうな予感がある。
瓦礫撤去の進行は、震災直後の写真と比べると一目瞭然である。
閖上の日和山より


瓦礫撤去は早いが、むしろ次の整地方針を
示す段階にきている。
荒浜の貞山運河


震災直後の運河の中の状況は、息ができないほど悲惨なものであった。
現在は、カモが泳ぎ、運河だけは元の形で残った。
荒浜の白松青松


震災後残った松は、その多くがまだ生きている。
海浜地帯は震災直後とほとんど変わらない。
松の調査、手当ては進んでいるのだろうか。
震災2週間後、自宅から一番近い太平洋の仙台市荒浜と名取市閖上に、
国道4号からマウンテンバイクで海岸線まで行った。
あれから9カ月、これで4度目である。
先月、名取市では街づくりの意識調査の結果や、
計画イメージ案が示され、話合いが行われた。
震災復興区画整理事業という具体的な事業名も示され、
勉強会も開かれた。
背後に潤沢な市街地を控えることから、事業化の道筋は速い方である。
地元の人の話を聞くと、国の対応の遅れで、瓦礫処理の効率が悪かったことや、
補助のばらつきがある等、まだ、復旧半ばで話の内容は以前と変わらない。
計画については、閖上地区は現位置での再生案の方向で動いている。
土地利用計画、防災計画、資金計画などの課題を列挙したらきりがないが、
減歩や事業負担の基本的考えを示し、
タイミング良く1つの方向に向かってもらいたいものだ。
その街づくりのスタートラインにたどりつくまで、最低1年はかかる。
だから、震災直後に、基本方針を決めるソフト計画と、
事業計画を想定したハード計画を、同時に進めなければなかったはずだ。
震災直後、ビジネスの為でなく、冷徹にハードプランを作ることに、
理解を示す人はほとんどいなかった。
被災地の現場は、昨夜降った雪がところどころ残り、
大型車の往来が続いている。きれいな砕石盛土が幾つも山となり、
以前示したケズタウンのような景観である。
これは工事の流用土と工事中の緊急避難のためであるが、
未来志向の街づくりがスタートしそうな予感がある。
瓦礫撤去の進行は、震災直後の写真と比べると一目瞭然である。
閖上の日和山より


瓦礫撤去は早いが、むしろ次の整地方針を
示す段階にきている。
荒浜の貞山運河


震災直後の運河の中の状況は、息ができないほど悲惨なものであった。
現在は、カモが泳ぎ、運河だけは元の形で残った。
荒浜の白松青松


震災後残った松は、その多くがまだ生きている。
海浜地帯は震災直後とほとんど変わらない。
松の調査、手当ては進んでいるのだろうか。
Posted by Katzu at 11:20│Comments(0)
│大震災
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