2012年01月08日
冬の被災地 その3
三陸地方は冬が厳しい。
インフラの整備は進んでいるのだろうか。
仮設住宅地の状況はどうだろうか。
全体的に被災した市町村では仮設住宅地が形成され、
人々の新しい暮らしが始まっている。
生活に不便なこと、解決できることがないか、
幾つかの仮設住宅地をまわり、話を伺ってみた。

南三陸町の歌津の例である。
町は壊滅的な被害を受けたが、無事だった高台の小学校の敷地内に、
仮設住宅は建てられた。
住宅自体は特に不備はないようだ。
一人1戸の家もあるが、4人1戸を基準とし、多人数の場合は再配置になるようだ。
ユニットバスで、多人数の場合は小さいようだ。
まちのコミュニティの媒介は回覧版と、入口の掲示板で行っている。
掲示板を見ていたおばあさんは、
「生活自体も文句を言ったらきりがないが、なんとかやっていけます。
こちらはまだ暖かいですが、北の方はもっと大変でしょう。」
と他の地区のことを気遣ってくれた。

最近、下のもとの宅地跡に仮設の商店街ができた。
衣食住中心のセンターであるが、近隣からも買い物客が集まる。
狭いながら海産物も生きが良く、地物の種類も多くあった。
もっと知れたら、国道にも近いので、通過客も立ち寄るようになるだろう。
北三陸の気候は、海岸線は温暖であるが、少し内陸に入ると氷雪が付く。
田野畑村は海岸段丘の高台に中心市街地があるが、
リアス式海岸の各漁港は津波で甚大な被害を受けた。

羅賀、島越地区の仮設住宅地は高台の高校グランドにある。
仮設店舗はないが、街の店や移動店舗や配達で対応している。
仮設集会所もあり、これから移転計画の話などが行われるだろう。

津波の不安はなくなったが、高台は寒く、
住み慣れた海沿いの方が良いと言う人も多い。
一方、羅賀の集落は二分され、残った家屋は海岸での生活を継続しているが、
主要な施設は流されたため、生活は不便である。
ようやく仮設商店が開店したばかりであった。
ひとえに高台移転と言っても、新しい街をつくるだけでなく、
町のトータル的な計画を作る必要があると痛感した。
北三陸地方は、交通が不便で瓦礫の撤去が最も遅れていたが、
盛岡、八戸、遠野を拠点に、秋にかけてかなり進んだ。
しかし全体的な瓦礫の分別や、個々の宅地の整備はまだ不十分である。
田老の防潮堤付近 (上:4月6日 下:1月7日)


洋野町八木付近 (上:4月6日 下:1月7日)


現在は、鉄道の復旧、県道レベルの整備、護岸工事が中心に進んでいるが、
市街地の整備方針が立たないこともあり、道路の基本設計ができない。
JR八戸線は現在運休中であるが、線路の整備は進み、
保守、管理施設を整備し、3月に全線開通予定である。
三陸鉄道は北リアス線の一部運行しているが、駅舎、橋が
流出した箇所もあり、全線復旧には時間がかかる。
野田村安家付近 (上:4月6日 下:1月7日)


防波堤を含む全体的な港湾施設の整備は、基本的には進んでいない。
インフラの整備は進んでいるのだろうか。
仮設住宅地の状況はどうだろうか。
全体的に被災した市町村では仮設住宅地が形成され、
人々の新しい暮らしが始まっている。
生活に不便なこと、解決できることがないか、
幾つかの仮設住宅地をまわり、話を伺ってみた。

南三陸町の歌津の例である。
町は壊滅的な被害を受けたが、無事だった高台の小学校の敷地内に、
仮設住宅は建てられた。
住宅自体は特に不備はないようだ。
一人1戸の家もあるが、4人1戸を基準とし、多人数の場合は再配置になるようだ。
ユニットバスで、多人数の場合は小さいようだ。
まちのコミュニティの媒介は回覧版と、入口の掲示板で行っている。
掲示板を見ていたおばあさんは、
「生活自体も文句を言ったらきりがないが、なんとかやっていけます。
こちらはまだ暖かいですが、北の方はもっと大変でしょう。」
と他の地区のことを気遣ってくれた。

最近、下のもとの宅地跡に仮設の商店街ができた。
衣食住中心のセンターであるが、近隣からも買い物客が集まる。
狭いながら海産物も生きが良く、地物の種類も多くあった。
もっと知れたら、国道にも近いので、通過客も立ち寄るようになるだろう。
北三陸の気候は、海岸線は温暖であるが、少し内陸に入ると氷雪が付く。
田野畑村は海岸段丘の高台に中心市街地があるが、
リアス式海岸の各漁港は津波で甚大な被害を受けた。

羅賀、島越地区の仮設住宅地は高台の高校グランドにある。
仮設店舗はないが、街の店や移動店舗や配達で対応している。
仮設集会所もあり、これから移転計画の話などが行われるだろう。

津波の不安はなくなったが、高台は寒く、
住み慣れた海沿いの方が良いと言う人も多い。
一方、羅賀の集落は二分され、残った家屋は海岸での生活を継続しているが、
主要な施設は流されたため、生活は不便である。
ようやく仮設商店が開店したばかりであった。
ひとえに高台移転と言っても、新しい街をつくるだけでなく、
町のトータル的な計画を作る必要があると痛感した。
北三陸地方は、交通が不便で瓦礫の撤去が最も遅れていたが、
盛岡、八戸、遠野を拠点に、秋にかけてかなり進んだ。
しかし全体的な瓦礫の分別や、個々の宅地の整備はまだ不十分である。
田老の防潮堤付近 (上:4月6日 下:1月7日)


洋野町八木付近 (上:4月6日 下:1月7日)


現在は、鉄道の復旧、県道レベルの整備、護岸工事が中心に進んでいるが、
市街地の整備方針が立たないこともあり、道路の基本設計ができない。
JR八戸線は現在運休中であるが、線路の整備は進み、
保守、管理施設を整備し、3月に全線開通予定である。
三陸鉄道は北リアス線の一部運行しているが、駅舎、橋が
流出した箇所もあり、全線復旧には時間がかかる。
野田村安家付近 (上:4月6日 下:1月7日)


防波堤を含む全体的な港湾施設の整備は、基本的には進んでいない。
Posted by Katzu at 04:03│Comments(0)
│大震災
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